丸山眞男とカール・レーヴィット―「近代」や「ニヒリズム」をめぐる東西の政治哲学の交錯 - 東京カレッジ

丸山眞男とカール・レーヴィット―「近代」や「ニヒリズム」をめぐる東西の政治哲学の交錯

Flavia BALDARI

本研究は丸山眞男(1914-1996)とカール・レーヴィット(1897-1973)の政治哲学と、相互の伝統が彼らの思想に与えた影響を再検討することを目指す。近代危機の枠組みの中で、19世紀後半から20世紀のニヒリスティックな傾向を伴うダイナミックの中に「個人観」に関する考察を分析する。哲学的観点から探求するこのトピックは、ヨーロッパと日本の思想的視野の中で文脈化される必要がある。それによって、丸山とレーヴィットの議論における哲学的概念の起源とその意味を明らかにする。
双方ともにお互いの文化に影響を受けており、そのことがそれぞれの伝統や社会的政治的文脈の中でどのように理解されているのかを明確することが重要である。これによって、異なる観点での対話が可能になる。

近代化の危機の文脈化は、本研究の重要な出発点である。丸山とレーヴィットの比較においては、ヨーロッパと日本の思想における「近代」という概念を理解することが必要となる。近代の危機に浮かび上がるニヒリズムを分析する上でも、「近代」に関する理解は不可欠である。また、ニヒリズムの追究を通じて、両者の個人観と社会観を考察する。ニヒリズムはさまざまな側面を持つ現象であるため、本研究では、その中のいくつかの側面を明らかにする。
ニヒリズムとヒューマニティ。日本とヨーロッパの精神、ヨーロッパの伝統におけるニヒリズムの出現、また日本の伝統化の問題を比較することによって、近代の危機の文脈を分析する。
全体主義の時代におけるニヒリズム。ファシスト運動における個人の公的存在に対する過度な政治化と人間の存在の非人格化は、ニヒリズムのもう一つの重要な原因と考えられる。
ニヒリズムとテクノロジー。丸山とレーヴィットによる技術の進歩に対する懐疑的な立場では、20世紀の技術開発における「私的な人間」の喪失へのプロセスが強調される。ニヒリズムへの探究は、丸山とレーヴィットの「近代的人間」の分析と、個人の「新しいエトス」の探求のために、不可欠である。
新しいエトスの探求。歴史、伝統、宗教の発展の中で、丸山とレーヴィットは、それぞれの文化において近代危機の原因とそれを克服するための鍵があると考える。この新しいエトスは、近代危機とそのニヒリスティックな結果に直面すると言える。

本研究は、丸山とレーヴィットがお互いの伝統とは異なる概念をどのように受け取ったのかを明らかにするとともに、どのように共通理解・相互理解を可能にするかを分析する。分析を通し、二元的な東西(または西/非西)の立場を乗り越えることを目指す。本研究で試みる丸山とレーヴィットのバーチャル対話は、それぞれの文化における対話となると言える。

OTHER INDIVIDUAL PROJECTS


TOP