日本研究の今後の課題―私論③ | 東京カレッジ

日本研究の今後の課題―私論③

2020.09.18
FACIUS Michael
FACIUS Michael

東京カレッジ特任助教。研究分野はグローバル・ヒストリーからみた日本・東アジア史。主な研究プロジェクト:「20世紀日本の近世観」。

Project Assistant Professor at Tokyo College. My main research area is Japanese and East Asian history in a global historical perspective. Current research project: "Beyond Edo. Transnational narratives of the Early Modern in 20th Century Japan."

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※この3篇のブログは、東芝国際交流財団創立30周年記念エッセイコンテストに応募したエッセイを多少加筆したものである。第一篇「日本文化と世界との絡み合い」こちら。第二篇「方法としての日本」はこちら。オリジナル版は同財団のウェブサイトに掲載されている。

その三:教室から考えなおす日本研究

第一篇と第二篇で述べたように、地域研究と各専門分野、日本研究に携わる日本人と外国人、研究者と一般市民の間の対話を深めていくことを日本研究のこれからの大きな課題の一つであると思っている。だが専門家と市民だけでなく、学生の声に耳を傾けることも極めて重要である。近年の教育学は、学生を変革の主体とした教育モデルを打ち出しており、カリキュラムづくりに学生を参画させる制度の運用に乗り出した大学さえある。こうした動きがある一方、教員仲間からは、漫画やアニメ、Jポップ好きが高じて日本研究を専攻する学生が多いことに落胆の声も聞こえてくる。そうした学生は古典文学や古代史、経済政策を学習しなければならないと知って当惑するらしい。日本研究における正統な「硬派」の科目を教える教員の懸念はもっともだと思うが、大学での学びを、夢中になれることから始めても良いのではないか。

そもそも、大衆文化を低く見る必要はない。漫画にはいろいろな要素が含まれている。昨年5月、大英博物館で開催された「マンガ展」に足を運んだのだが、漫画は気晴らしや子どもの娯楽にとどまらず、教育の場でも活用されている点が強調された展示となっていた。私自身の専門分野でいうと、NHKのドキュメンタリー番組『その時歴史が動いた』のコミック版や『ヴィジュアル百科江戸事情』を活用している。東京カレッジ長の羽田先生も来年刊行予定の『世界の歴史』という学習漫画を編集していらっしゃる。高校生がこれらを使って、戦国時代の合戦や江戸時代後期の出来事や政治への理解を深めていることは日本では軽視されていないし、海外で日本文化を教えている教員もこれを軽視する必要はないであろう。2019年、私は日本研究を専攻する学生たちの団体に招かれ、ヴェネツィアにあるカ・フォスカリ大学でビデオゲームと歴史をテーマに講演を行なう機会を得た。ビデオゲームにおける歴史的表象と「日本的なるもの」についてかなり難解な話もしたが、参加してくれた学生たちは終始熱心に耳を傾け、質疑応答の時間ぎりぎりまで質問が相次いだ。講演終了後、多くの学生が私のところへ来て、自分にとって意味あるテーマが学術研究に値することが分かって嬉しいと話してくれた。

日本の大衆文化を活用すれば、学生の関心に合わせることができ、学生が履修科目に取り組みやすくなるというメリットがあるが、実はそれだけではない。歴史漫画を読むことが歴史の学習に役立つなら、漫画を創作することも同様に学習の役に立つのではないだろうか。学生が自宅で楽しんで漫画を描いているのなら、教員の側も教授法や評価法の幅を広げてもよいのではないか。基本的には漫画が正規の学期末レポートにならない理由はないはずであろう。成績評価の方法と基準を工夫すれば、たとえば日本の保健制度や江戸時代の日蘭関係について学生が描いた漫画を厳格な学術的基準と批判的思考で評価することは十分に可能であろう。学期末レポートの代わりにビデオゲームを制作するとなれば相当な時間と労力を要するから無理があるかもしれないが、『信長の野望』など歴史シミュレーションゲームの構造を批判的に分析するというのはどうか。あるいはゲームに工夫を加える、いわゆる「モッド」をつくるというのはどうか。人気のある『アサシン クリード』シリーズの開発者は、近作『アサシン クリード オリジンズ』に「ディスカバリーツアー」モードを追加した。これによりプレイヤーは、音声解説を聞きながら古代エジプトをバーチャルに探検することができ、ゲーム感覚で歴史を学ぶことができ、素晴らしいアイデアだと感じた。

学生の学習成果として認められるものの範囲を広げれば、講義におけるアプローチや教授法の開発や拡大に限界はないと考えている。私は最近、Matthew Penney氏が『Mechadamia』誌に寄せた論考「A Nation restored: The Utopian Future of Japan’s far right(国の再興―日本の極右が描く未来のユートピア)」を非常に興味深く読んだ。Penney氏は極右系出版物から言説を拾い出して、極右が目指す日本の将来像とは実際にどのようなものかを再構築してみせた。ある意味でPenney氏の論考はフィクションあるいは推論であるが、政治的主張の背後にある因果関係や前提に着目した綿密な研究の成果でもある。これもまた、教育の場で使うと面白く、かつ実り多い方法である。

そして言うまでもなく、大衆文化の対極に位置する伝統文化もまた新しい方法で活かすことができる。先日、都内にある孔子廟「湯島聖堂」を訪ねた際、江戸時代のいわゆる昌平坂学問所の伝統を継承した中国古典の講座が復活したと知って嬉しい驚きを覚えた。現在、当初のカリキュラムと教授法を引き継いで儒教経典の講座が行なわれている。初級講座は論語の素読を基本とし、テキストを音読して文字と音の成り立ちを覚え、それからテキストの意味や解釈に進む。中・上級講座では訓読を通した精読が期待され、受講者は白文を読み下すことを求められる。

ここで思い浮かぶのは、中野三敏の『江戸文化再考』と、彼が現代の「江戸リテラシー」を提唱したことだ。古文や漢文を読むスキルの喪失は、日本社会がその過去や文化的記憶とのつながりを断ち切っていることを意味すると、中野は論じている。1900年以前の手書き文書や印刷本から漢文・和文をとわず、文章を収集した広範な知のコーパスが利用できれば、それは日本社会にとって価値があるだけでなく、日本文化を学ぶ外国人学生にとっても価値のあるものとなる。江戸時代の学問所や藩校などで行われた解読教育を現代の日本研究カリキュラムに取り入れることはできないか。一見時代遅れとしか思えないかもしれないが、実はかなり要求の高いことで、やりがいのあることである。私自身、学生時代に漢文訓読を愉しんでいたし、今の学生たちと一緒に漢詩を朗読し、作ってみることができれば楽しいなと思っている。

画像提供:RRice

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