日本研究の今後の課題―私論① - 東京カレッジ

日本研究の今後の課題―私論①

2020.09.02

※この3篇のブログは、東芝国際交流財団創立30周年記念エッセイコンテストに応募したエッセイを多少加筆したものである。オリジナル版は同財団のウェブサイトに掲載されている。

その一:日本文化と世界との絡み合い

研究を始めて15年になるが、私を日本研究へと最初にかき立てたものは何だったのだろう。はっきりしない。確かに私は言語学習に喜びを見出し、言語学を研究することに決めていたから、日本語のように複雑かつ異質な言語は研究への意欲と興味を高めてくれるように思われた。日本語は、私がそれまでに魅了された最もエキゾチックな言語というわけではなかった。「スタートレック」のファンとして、中等学校時代にクリンゴン語をかじっていた。しかし言うまでもなく、オタク熱と、週に十時間の外国語の授業と4回のテストを受けることとはまったく別である(日本語をそうやって学習しても、一年目が終わるころ、文法がわかりかけた程度だったが)。当然ながら、表記体系は日本語の大きな魅力であり、難解さの一因でもあった。私は文字のパターンと構成要素、幾通りもの読み方を理解できるようになってようやく、日本語と中国語がどれほど密接に関係していることを知った。漢詩の授業では、唐代の有名な詩人・李白の詩を、そのままの漢字で日本語で読み上げられることを知って驚いた。

日本漢文のこうした特異な読み方――つまり、漢文訓読――が非常に興味深く、その興味が薄れることはなかった(翻訳研究者は、「訓読」の正体は読み方か注釈か、翻訳かといまだに議論しているが)。ますます不思議に思ったのは、訓読では中国語と日本語の境界が不鮮明になるということだった。言語学においては、言語は個々にはっきり区別できるものと一般に理解されているのに。修士論文でこの問題を別の観点から取り上げ、中国語やヨーロッパ言語から日本語に入りこんだ外来語の文法的統合を検討したが、構造言語学の限界ゆえに明白な結論が引き出せなかった。のちに指導教授から指摘されたが、どの言葉が外来語とみなされるのは、音声学や韻律学にだけ基づいて判断できるものではなく、国家の言語政策や実際の言語使用の問題でもある。

昨年5月の新天皇の即位で始まった新時代の元号選定過程は格好の事例だろう。日本の元号は千年以上もの間、中国の古典から選ばれてきた。しかし今回、安倍晋三首相は初めて八世紀の和歌集「万葉集」の文言から二文字を選んだ。この選択は、安倍首相が国家主義的政治の復活を目指す意向の表れだと評された。とはいえ、研究者はいち早く気づいていたが、いわゆる日本の古典といわれる万葉集の一部は、実は古い漢語で書かれており、多くの和歌の形式や修辞的表現、語彙は中国の詩歌をほぼ手本としている。言い換えるなら、日本が今後「令和」に恵まれることを誰もが望んでいるが、その「美しい調和」は日本と外部世界のつながりに依存しているのである。

私が常々、訓読について興味深く思っていた点は、文化の曖昧性を示す、もっとも明確な事例のひとつであることだ。つまり、ある言葉、テキスト、文化的所産は日本か中国どちらかのものである必要はなく、同時にどちらでもありうるのだ。これこそが、20世紀初頭の日本の研究者や政治家が訓読をよしとしなかった理由である。彼らの目標は日本の国語と文学的規範をつくることであり、言語的純粋性と文化的同質性という理想の実現を目指していた彼らにとって、曖昧性と中国の影響は阻害要因でしかなかった。彼らは中国の古典の位置づけを変えようとして、ある程度成功した。聖書やギリシア・ラテン文学と同種のもの(つまり、東アジアの共通遺産)ではなく、外国のものであって日本文学の規範や学校カリキュラムから徐々に排除すべきものとしたのだ。漢文文化の名残はまだあるものの、『三国志』のような不滅の人気作品は別として、現代日本で低調であり、伝承の受容度も低い。

日本文化と世界とのつながりを考えてみれば、見えなくなったものは漢文訓読だけではない。日本史研究の授業で私が最初に与えられた課題は、鎖国について調べて発表することだった。鎖国とは、日本が江戸時代、17世紀から19世紀初めにかけて外部世界との接触を断っていたことをいう。この発表のために読んだ文献では、鎖国は歴史的事実として記述されていたが、数十年日本、ヨーロッパ、アメリカの歴史家の研究が蓄積され、今では、鎖国=孤立主義は、江戸幕府の外交政策が意図したことでもその政策の結果でもなかったことが定説とされている。貿易と文化交流は存続し、これまで考えられていた以上に多くの一般人が外国人と直接交流していた。

だが、漢文文化と同じく、外部世界との文化交流や関係の複雑性は多くの場合、江戸時代の一般的イメージには存在しない。長崎歴史文化博物館九州国立博物館の展示を見て私は嬉しい驚きを得た。両博物館とも九州が日本列島を超えて世界と交流してきたながい歴史を地元愛にあふれて強調している。私が喜んだのはそれらが例外だからである。日本国内でも海外でも江戸時代および伝統的な日本文化のイメージとくると、その複雑性をよそに、数の限られたシンボルが繰り返し提示されることの方が多い。江戸時代はエコ社会であったとか、歌舞伎や浮世絵などの都市文化が栄えたとか。アシックスも現在、そうしたイメージにあやかって、「江戸文字」をあしらった商品を売り出している。

日本文化と外部世界の分かちがたい関係が消し去られていることを明らかにし、そうした風潮にあらがうことは、日本研究の今後の大きな課題のひとつと思われる。狭義のナショナリズムに固執する人々にとってはいささか不愉快かもしれないがこのような研究に政治的アジェンダはない。人文学の使命が人間の存在の複雑性と多様性を討究し、理解することであるなら、研究者は日本をより広範な文脈に位置づけなければならない。こうした研究は、私自身の専門分野でふたつ例を挙げるなら、「新しい世界史」グローバルヒストリーなどといった枠組みで、日本でも欧米でもすでに行われており業績を積み上げてきているが、長期にわたって着実に成果を上げていくためには克服すべき制度的障害がある。

日本研究の歴史的な目的は、地域研究の一環として国という枠組みのなかで知見を生み出すことにあったのである。こうした日本研究は、ルース・ベネディクトの主著『菊と刀』のように、日本文化の曖昧性や複雑性ではなく、日本文化の特異性の説明に終始しがちであった。知的営みとしては、こうした制約が長らく議論の的になり、結果的に克服されたが、制度面では、日本研究は依然として地理的範囲を限定し、「近世史」などの専門分野ごとに行なわれることが多い。カリキュラムは、国際的・地域的観点より国の枠組みを重視する傾向にある。研究職の公募も、近代以前の日本文学など従来のカテゴリーを踏襲しており、私のように学際的・越境的な関心をもつ若手研究者は行き場がない状態にある。これからの日本研究は知の境界や専門分野間の境界、制度的境界を越えて、視野を広げる努力をすべきである。

「その二:方法としての日本」こちら

画像提供:RRice

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