暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 福永真弓先生 - 東京カレッジ

暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 福永真弓先生

2021.04.20

グラフィックレコーディング©Innovation Team dot 小金丸侑莉

※このブログは「暮らしと仕事のエスノグラフィー」学者シリーズ第2回です。このシリーズでは東京大学内外の著名な研究者に「暮らし」を代表する写真を3枚選んでいただき、それについての語りを通して、暮らしと仕事の繋がりをグラレコとエスノグラフィーで探ります。シリーズの紹介文はこちら エスノグラフィーは、お話しいただいた内容の一部に焦点を当てています。

 

みなす。はみ出す。

語り:福永真弓

エスノグラフィー:赤藤詩織

グラレコ:小金丸侑莉

図1:フィールドワーク先からお歳暮に送られてきたサケ

 

 あなたは、この写真をみて、どんなサケを想像するだろうか。

 夕飯のおかずのサケだろうか。

 資源としてのサケだろうか。

 自然保護の象徴としてのサケだろうか。

 福永先生は、恋のバトル真っ最中のサケを思われる。

 一般に、サケはメスよりもオスの方が歯が大きい。歯が立派で、この写真のようにいかつい顔になっていたら、メスを巡った戦いが繰り広げられてきたことが想像できるそうだ。

 福永先生は一昨年、サケについての単著本(福永2019)を出された。東日本大地震以前から何度も岩手県を訪れた先生は、その中でサケの人工ふ化放流事業に携わってきた人々とサケの関係について詳述されている。ふ化放流事業は、サケの稚魚を太平洋へ放流し、4、5年後成魚になって故郷の川へ帰ってきたところを捕まえる漁だ。人により放流されたサケは、野生と家畜の「間」を生き、その「間」から人との関係を築いてきたという。サケの歯に恋のバトルをみる福永先生の語り口は、彼女の著書の冒頭で紹介される漁師の語り口と似ている。彼の中では、「サケはいつも、睨んだり、つれなくしたり、彼と張り合い、感情を互いに交感できたりする対等な相手として現れる。」(福永 2019: ii)

 しかし、昨今の気候変動で不確実性が増した自然界では、サケはこれまでほど帰ってこなくなった。安定生産を目指す水産省や関係者は、今こそふ化放流事業から養殖、つまり完全な家畜化への切り替えをすすめる。野生と家畜の「間」でのサケと人の応答が途絶える中、福永先生は著書の中で「人間とはなにか。生きものとはなにか。それらは互いを、関係性の中でどう作り上げてきたのか。」と問われた。

 人びとと生きものの関係性の多様性と、それを支える価値の多元性 (福永2010: 7) を考えるのが、福永先生の専門とされる環境倫理学だが、多元性を尊重するには、「まず『在るもの』を少なくとも『在るもの』として認識して書き出すこと、それらを一方的な誰かの判断のもとに切り捨てることがないようにすること」(福永2010: 7)が重要になる。魚師を睨み返したサケは、「資源量として換算される数字上のサケとも、タンパク質として消費される切り身になった商品のサケとも、自然保護の対象として象徴化されるサケとも違う。」(福永2019: iii)代わりにそこにいるのは、「人と対象に向き合い、交渉し、敬意すら払われるサケだ。」(福永2019: iii)

 漁師の語り方、そして福永先生の語り方は、生き物が生き物であると「みなす」という考えに基づいている。「みなす」語り方は、その生きものの「格」はそこでそうあるものと分かっているかのように話すことだ。それは、生き物が、生き物「らしく」あることを尊重する考え方でもある。(福永 2018:i)。この「みなす」という考え方は、人間の間でよく使われる、「ダイバーシティ」という考え方と似ているのだろうか。お聞きしてみると、先生は即座に「それはまた違う」と否定された。ダイバーシティは、型にはめてしまいがちだ。「だけど自然は基本的にはみ出すのよ。」福永先生は笑いながらおっしゃった。「テラリウムの中できれいに自然を作っても、気付いたらカビが生えていた、なんてことはしょっちゅうでしょ。」たとえ家畜化をわたしたちがしたと思っている生きものであっても、生きものは人間が想定する家畜化から、モノとしての存在からはみ出す。(福永 2019: 419)「みなす」語り方は、型からのはみ出しをゆるし、そんな多様な在り方を尊重する言葉だ。

 

図2:愛猫レオン君。レオン君は水道の蛇口からしか水を飲まない。水を専用の水入れに入れると、決まって倒す。

 コロナ禍で人が在宅勤務に移行する中、生き物は自らの身にふりかかった「モノ化」からはみ出すだけでなく、人の関係の中にもはみ出してきた。そう言われてみれば、この一年、生き物が仕事に「はみ出して」きた経験がある方も多いのではないだろうか。福永先生も、オンラインミーティング中、突然スクリーン上に現れる猫のしっぽを何度も目撃したそうだ。「この人、いつもは気難しいのに、今日はやけににこやかだと思っていたら、さては膝に猫を抱いていたんだな。」

 仕事のスクリーンにはみ出してしまう猫のしっぽ。自然と人間、暮らしと仕事がこのようにはみ出し合うことに対して、社会に弾力があれば良いね、と福永先生はおっしゃった。「はみ出しに寛容になることで、コロナ後の新しい未来は、もっとフラットで、思いやりのある社会に移行できるのではないでしょうか」そう尋ねられ、思わずうなずいた。

図3: フィールドワークも自転車で。

 「モノ化」を跳躍するもう一つのヒントだろうか。福永先生は車にお乗りにならない。移動はほとんど自転車だ。車なしのフィールドワークはさぞ大変だろうと思うけれど、タクシーや知り合った人の車に乗せてもらうことで、かえって地元の方々と関係が作れるそうだ。

 車に乗らないことで、思いがけない生きものにも出会うことがある。カルフォルニアの農場でのフィールドワークからの帰り道に、遊び盛りのコヨーテに後をつけられたり、一休みしようと自転車から降りて一服している時に、50メートル先で同じように腰を下ろす熊と目があったり、と、自転車は動物たちとの距離までも縮めてしまうようだ。

 

 はみ出すもの、それが自然。

 ヒトもまた、自分を意味づける様々な境界線からはみ出したとき、他の生き物たちと「ああ、いまそこに共にいるのだ、とはっと気づく」(福永2018:ii)ことができ、共に新たな未来を作りあげることができるのかもしれない。コロナ下で在宅勤務が常態化した今、人は暮らしと仕事の境界線からはみ出しつつある。奇しくもコロナ禍は、人もはみ出す存在であることを明らかにした。 

 今、福永先生の研究と関心ごとは、バーチャルの世界での「みなし方」と「はみだし方」だ。その先には、きっと、もっとフラットで、思いやりのある未来があるに違いない。

 

参考文献

福永真弓(2019)『サケをつくる人びと:水産増殖と資源再生』東京大学出版会.

福永真弓(2010)『多声性の環境倫理:サケが生まれ帰る流域をめぐる正統性のゆくえ』ハーベスト社.

吉永 明弘・福永 真弓(2018)『未来の環境倫理学: 災後から未来を語るメソッド』勁草書房.

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