暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 味埜俊先生 - 東京カレッジ

暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 味埜俊先生

2020.12.07

グラフィックレコーディング©Innovation Team dot 池田萌絵

※このブログは「暮らしと仕事のエスノグラフィー」シリーズ第一回です。このシリーズでは東京大学内外の著名な研究者に「暮らし」を代表する写真を3枚選んでいただき、それについての語りを通して、暮らしと仕事の繋がりを探ります。シリーズの紹介文はこちら

「サステイナビリティとは、同じであり続けることではない。」

 

研究者自己紹介:味埜俊

学生時代から、山登り、料理、音楽など、「遊び」にこだわり、遊びを通じた多様な人との出会いを楽しんできた。歳を重ねても遊ぶ体力を持ち続けたいとマラソンも始めた。専門はサステイナビリティ学。東京大学新領域創成科学研究科において、世界中から学生を受け入れる学際的な博士課程であるサステイナビリティ学グローバルリーダー養成大学院プログラムの設立(2007年)に関わり、そのコーディネーターも務めた。現在は東京カレッジ特任教授。

聞き手自己紹介:赤藤詩織

淡路島生まれ姫路市育ち。世界が見てみたい!と17歳の時にインドの高校に留学。以降はオーストラリアとイギリスで大学生活、マレーシア、シンガポールで研究生活と、好奇心をコンパスにたどり着いたのが東京カレッジ。専門はジェンダーの人類学。

 

 私と味埜先生との出会いは(ここ最近では珍しくない)スクリーン上でした。その前にウェブサイトで拝見したご経歴から、知らず知らずのうちに、「理系分野の先生なんだなあ」と想像していたのかもしれません。だからでしょうか。「人文学の将来を考える」という、一見文系バリバリのオンライン勉強会で味埜先生をお見かけした時は意外で驚きました。

研究概要

 下水処理には微生物を利用した活性汚泥法が多く使われる。その基礎研究に興味を持ち、有機汚濁物質に加えて富栄養化の原因になるリンも除去する処理法の機構解明、下水処理の数学モデル構築、微生物生態解明への遺伝子情報を用いたアプローチ、排水処理で生じる廃棄物である「汚泥」の処理・有効利用技術の評価などをおこなってきた。近年は、多様な学術分野の研究者・実務者との対話や協働の中から、サステイナブルな社会を構築するための理念や手法を体系化する試みを、サステイナビリティ学教育カリキュラムの開発を通じて実践している。

(味埜先生の東京カレッジウェブサイトから抜粋)

 驚く私を横目に、歴史学者や言語学者にどんどん鋭い問いを投げかけられる味埜先生。その問いをきっかけとして議題は思ってもみなかった方向に展開していきます。議論は発展し、いつの間にか、人文学とテクノロジーという新しい企画まで誕生していました。

 そんな、東京カレッジで、いわば、学際的なアプローチを体現されている味埜先生を、「暮らしと仕事」学者シリーズの第一回にお迎えできたことをとても光栄に思います。

赤藤     味埜先生、オンラインインタビューに応じてくださり、ありがとうございます。コロナ禍で対面でお会いする機会がなかなかない中、Zoomなどのオンライン手段のおかげで繋がりを保つことができています。今回のことでオンラインの会話への抵抗が少なくなったとは思いますが、コロナが終息した時、私たちの生活から対面文化が減り、その代わりとしてオンライン会議などが増えるのでしょうか。

味埜 いえ、対面文化の大切さが減ることはないと思いますよ。Zoomを始めとするオンライン会議はリアルを一部だけ切り取っていますからね。そういう意味でZoom会議は、アジェンダを効率的にこなすのには適した手段です。けれどリアルは、いろいろなものから成り立っているんです。対面で会うと、そんないろんな要素から成り立つ個人の他の面に出会うことができる。休憩時間の無駄話や帰りのエレベーターの中での会話といった偶然から、思わぬ発見や、企画が生まれます。これからも対面ならではの感覚や偶然に出会うために、対面文化は常に必要とされると思います。

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 インパクトのある始まりに、今日のインタビューでは、もしかしたらそんないろんな要素から成り立つ味埜先生のリアルの重層性を垣間見られるかもしれない、そんな期待を抱きました。

 

赤藤 こちらは何をされているところでしょうか?

味埜 東京大学の柏キャンパスで野草の天ぷらを作っているところです。私は、貧しかった時代の日本の価値観が色濃く残る家に育ち、昔気質の祖母の影響下で育てられました。小さい頃、おばあちゃんが近所からヨモギやその時の旬の野草を取ってきて天ぷらやお浸しにして食べさせてくれるんです。これがとても美味しい!そうしてるうちに食べられる野草の知識がついたんでしょうねえ。山歩きをするようになって図鑑などでも勉強してだんだんと知識が増えてきました。1999年に柏キャンパスの新領域創成科学研究科に移った際に、「柏キャンパスの野草を食べる会」というのを企画して、一緒に野草の天ぷらを食べたい人を募りました。

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 味埜先生は1998年度までは東京大学本郷キャンパスの工学系研究科・都市工学専攻に所属され、「環境微生物工学」「水質変換工学」などの講義を担当されていました。1998年に「学融合」の理念のもと、東京大学全体からさまざまな分野の教員を集めた新領域創成科学研究科が柏キャンパスに誕生すると、その翌年、1999年から味埜先生は新領域創成科学研究科・環境学研究系に移動され、環境技術システム論のご担当として、社会と技術のさまざまな関係を考えるための視点について論じられました。

赤藤 環境技術システム論を講義する傍ら、野草を召し上がっていたのですね! この写真の中にもいろんな種類の野草がありますが、こんなに食べられる野草があるのですね。

味埜 そうなんです。みんなで一緒に柏キャンパス内を歩きながら、食べられる野草を探しては摘み、天ぷらなどの料理にして食べるんです。

赤藤 私も是非参加してみたいです。その会には何人くらい集まったのですか?

味埜 10人くらい集まりましたよ。いろいろな部局の学生、教員、職員など、幅広い人たちが集まりました。柏キャンパスでは特に職員の方々と一緒に遊びましたね。一方で教員の方々は最初はあまり来なかったなあ。

赤藤 先生方がいらっしゃらなかったのはどうしてでしょう?

味埜 分かりませんが、もしかしたら大学の中で大っぴらに遊ぶことに抵抗を感じる方が多かったのかもしれませんね。

赤藤 それはどうしてでしょうか?

味埜 仕事の用事がある時に、「あ、私は遊びの予定が入っているので、行けません」と、普通の人は言いにくいんじゃないでしょうか。

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 確かに、と頷きながら、「仕事」は要、「遊び」は不要と、無意識のうちに上下関係ができているのかもしれないと思いました。

赤藤 「遊ぶ」ことに対して、味埜先生は抵抗がなかったんですか?

味埜 ないですよ。僕は遊ぶのが大好きですから。そして、みんなで遊びましょう、とお誘いする時には、「私は遊びます。」ということを意図的に隠しませんでした。そうしないと、遊びたい人が遊べないんです。わざと、「私は遊びます。」と大きな声で言うことで、私は遊びの市民権を広げたかったんです。

赤藤 どうして遊びの市民権を広げることが大切だと思われたのでしょうか。

味埜 「遊び」を大切にすることは、例えば休暇や、家族を大事にするという価値観に繋がります。優先順位が時と場所によって変わるのは当然のことです。仕事が常に一番大事という考え方や、家庭と仕事のどっちが大事という質問は、ナンセンスです。どっちも大事という考え方が前提にあったら、人はもっと遊びやすくなるはずです。

 

赤藤 さて、一般に研究は1人で行うことが多いのですが、遊びにはたくさんの人を巻き込む力があります。そんなエネルギーがこの写真から伝わってきますが、こちらはどんな遊びでしょうか?

味埜 環境系プロムスと言って、音楽祭と懇親会の間のような会です。毎年ハロウィンの時期に、柏キャンパスで私が所属していた環境学研究系のメンバーが企画していました。この写真では、浴衣とシベリアの毛皮の帽子を被った衣装を着ていますね。帽子はロシアに出張した知人が買ってきてくれたものです。

赤藤 多様な文化の出会いを象徴する遊びですね。

味埜 歌や食は人を繋ぐ強力な手段だと思います。料理は、自分1人だけで食べるために何かを一生懸命作ろうとは思いませんが、食べてくれる人がいると、美味しいものを作りたくなります。音楽も、若い時は周りにいる仲間たちに自分の方を向いて欲しくて、オリジナル曲を作っては歌い、そんな曲が今は多分25曲くらいになっていると思います。

赤藤 オリジナル曲!どんな曲ですか?

味埜 いろいろですね。大雪山で出会った仲間と歌う歌がいちばん多く、最初に作ったのも大雪山の歌でした。研究で1年間滞在したオランダの曲や、ラブソングもあります。

赤藤 こちらの写真も大雪山でしょうか。

 

味埜 そうですね。実はこうやって山に行ったり、歌を作ったりするのは、大雪山のユースホステルでその後一生の友人となる仲間たちに出会ったことがきっかけです。今から40年前、大学に入学して間もない頃に、北海道の大雪山に登りました。その自然の素晴らしさに魅せられ何度か大雪山に通ううちに、トムラウシ山という大雪山塊の一番奥にそびえる山に一緒に行きたいと思う友人たちが集まるようになりました。そして彼らと、10年ごとにトムラウシ山の頂上で逢おうと約束したのです。1981年から始まって、1991、2001、2011年と実施しました。私は残念ながら2011年は参加することができなかったのですが、その代わりに2016年に仲間を募って登りました。これはその時のトムラウシの頂上での写真です。皆、歳をとり、結婚して家族と来たり、子どもや孫を連れてくる人もいました。実際に私もこの時は姪っ子を連れて行きました。次の再会は来年、2021年なので待ち遠しいです。コロナ禍でどうなるかわかりませんが、もしこのイベントが来年も実施されたならば、トムラウシ山頂ににちゃんとたどり着けるように、マラソンで体力づくりに勤しんでいます。

赤藤 40年間、10年ごとに同じ仲間と会い続けるなんて、ロマンチックです。一体何がそうさせたのでしょうか。

味埜 大雪山で出会った中にはいろんな人たちがいました。一口に会社員と言っても、社長から、派遣労働者まで。先生と言っても、小学校から大学の先生まで。林業に携わる人々に会ったこともあれば、おでん屋さんもいました。そんないろいろな方の中心に、「ロッジ・ヌタプカウシペ」というロッジのオーナーがいたのです。このオーナーの、自然に対しての見方が凄かった。学問や職能、知識や技術を超えた、感性の部分で抜きんでた人でした。そしてその人の周りにはいつも多様な人が集まっていました。そのオーナーを通して様々な人に出会ったと言えるのでしょうね。サステイナビリティ学でも、いろんな分野の人が交わることに抵抗を抱かなかったんだと思います。

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 味埜先生は、2007年に設置されたサステイナビリティ学大学院プログラム(GPSS)のコーディネーターを務められており、サステイナビリティ学に関する3冊の教科書の編著者でもいらっしゃいます。2019年に出版された教科書では、サステイナビリティに関わる課題を扱うときの態度として、1つの課題でも多様なフレームでの理解が必要であること、全体を見る俯瞰的な視点だけでなく多様性に端を発する複数の価値観を通して見る個別の視点に配慮すること、ゴールを決めてそこに向かって合理的に行動することは重要だがそこに至る過程に不確実性が存在することを意識すること、などを指摘しておられます。

赤藤 山を通じて知り合った多様な方々とのお出会いから、サステイナビリティ学で他分野の専門家が交わることの大事さを体得されたということですね。実際に、東京大学に作られたサステイナビリティ学大学院プログラム(GPSS)では、意図的に他分野の専門家が交わるようにコースをデザインされたのでしょうか。

味埜 そうです。人と人が顔を合わせるのは、サステイナビリティにとても大事なことなのです。サステイナビリティとは、「同じこと」を継続させることではありません。だって、ずっと同じなんて、人間は我慢できないでしょう。世の中は常に変わっていくものです。その、変わっていくための「ダイナミクス」を継続させることが、サステイナビリティです。

赤藤 変わっていくための「ダイナミクス」とは?

味埜 人と人とが交錯する機会を社会が提供できることです。人と人との交わりが化学反応を生み出し、社会が変わっていく原動力になるのです。

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 はっと、「人文学の未来を考える」オンライン研究会で、新しい企画が生まれた瞬間を思い出しました。サステイナビリティ学、歴史学、言語学、社会学、人類学、など、分野を横断したメンバーによる、議論百出の場であったからこそ生まれた企画です。

赤藤 ここまでのインタビューで、「遊び」の面で出会った多様な人と人との繋がりが、いかに先生の研究に大きな影響を与えているかが見えてきました。

味埜 実際に、「遊び」で知り合ったチャンネルを使って仕事をすることもあります。例えば、たまたまレストランで横に座ったお寺の住職さんとの会話が弾んで、「宗教とサステイナビリティ」というワークショップに来てもらったこともありました。

赤藤 ダイナミクスが生まれるきっかけはどこにでもあるのですね!

味埜 そうなんです。ただ、もしダイナミクスが生まれる要素があっても、必ずしもそれに気づくわけではないし、気づいてもそれをどうしたらいいか分からないことも多々あります。そんな、どこにでもある人と人とのつながりを、次のステップに発展させられる人を作ることこそが、教育の役割だと思っています。

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 味埜先生が2007年からコーディネーターを務められたサステイナビリティ学大学院プログラム(GPSS)は、入試から学位授与まですべて英語で対応するプログラムとして世界中から学生を受け入れてきました。また、味埜先生は東京大学、マサチューセッツ工科大学、スイス連邦工科大学、チャルマーズ大学による「人間地球圏の存続を求める大学間国際学術協力」(AllianceforGlobalSustainability–AGS)のもとで開始された環境教育部会に2000年の開始当初から参加され、そのもとでサステイナビリティをテーマとしたサマースクールを数々と立ち上げられています。

赤藤 「遊び」での気づきが、研究だけでなく、教育にも影響を与えているのですね。具体的に、人と人とのつながりを社会が変わるダイナミクスに変化させるため、サステイナビリティ学大学院プログラム(GPSS)では、どのような学びを柱にされていましたか?

味埜 大きなプロジェクトに採択されて予算があったときには世界中のいろいろなところに出向いて、学生と一緒にサステイナビリティに関わる様々な課題を扱いましたが、最近は身近なところでたとえば「柏キャンパス駅前の再開発」を題材にしています。そこで進められている「柏の葉スマートシティプロジェクト」はまちづくりの新しいモデルとして毎年何百人もの見学者が訪れています。エネルギー・高齢化・国際化・まちづくり・教育・健康などの全く異なる視点の課題や、多様な人々の利害が交錯する場になっています。そのようなケースを意図的に学生に与えることで、自分とは全くセンスの異なる人たちと意見を交わすことのできる機会が生まれます。そういった場面を大切にしました。

赤藤 先生にとっては、山も、天ぷらも、歌も、人と顔を合わせるための手段だったのですね。

味埜 人同士のインタラクションの場を作る。そこに意義を見出しています。

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  今回のインタビューで、味埜先生のリアルは、様々な人との繋がりで出来ていることが見えてきました。味埜先生の東京カレッジのウェブサイトを拝見した際には、「人同士のインタラクションを作ること」に味埜先生が意義を見出されているとは思ってもみませんでした。しかし、そのウェブサイトの外には、一緒に山を登った人や歌を歌った人、あるいは野草の天ぷらを食べた人、など、たくさんの人々の存在がありました。

 そのリアルは、3枚の写真ごとに「柏キャンパス」や、「大雪山」など、別々に存在してはおらず、まして、仕事をされている味埜先生と遊んでおられる味埜先生が別々に存在しているわけでもありません。味埜先生の中で山・歌・食の、「遊び」で出会った人々が「仕事」であるご研究の考え方に影響を与え、また時に共同研究者になり得ています。

 繋がりは場所だけでなく、時をも越えています。過去、味埜先生が学生時代に出会った人々が、今、味埜先生自身の学生に影響を与え、多様な人と関わり合う大切さは、世代を超えてトムラウシ山を登る経験とともに受け継がれていきます。

 冒頭、いろいろな要素から成り立つ個人の他の側面に出会うために、対面の出会いは必要だと味埜先生は仰いました。そこに、遊びを通して偶然の出会いを意図的に求めてこられ、その結果として学際的アプローチを体現される味埜先生の答えがあるのではないでしょうか。

 「遊びの市民権を広げる。」人がもっと遊びやすくなることで暮らしの価値が再認識され、私たちは仕事と暮らしのゼロサムゲームから抜け出すことができるのかもしれません。

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