法の未来と言語教育 - 東京カレッジ

法の未来と言語教育

2022.05.09
Tokyo College Blog

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このブログ記事は、東京大学で行われた2021-2022年度全学セミナー『21世紀における言語と社会』の授業の一環で作られました。当授業では、異なる専門分野から集まった東京大学の学生一人一人が、私たちの日常生活における言語の影響に関する課題をひとつ選び、その課題についてお互いにフィードバックを与えながら分野横断的な理解を深め、研究結果を発表しました。この記事はその中の一つの課題をブログにしたものです。

執筆者

西川空良
東京大学教養学部前期課程文科一類 学部生

「当事者カ其氏名又ハ商号ヲ相手方ニ示ササルヘキ旨ヲ仲立人ニ命シタルトキハ仲立人ハ第五百四十六条第一項ノ書面及ヒ前条第二項ノ謄本ニ其氏名又ハ商号ヲ記載スルコトヲ得ス」

以上は、2018年改正以前の商法第548条の条文です。つい3年前まで、明治期に制定された時と同様の漢字カタカナ混じりで書かれた文語体の法律が存在していました。現在でも、法律の条文や法律学の世界で用いられる日本語は日本語母語話者にも難解に感じられるものです。

今回は、日本における国民の法律に対する意識の希薄さを取り上げます。その背景として日本の法律の難解さを指摘し、その解決策として「法言語教育」の可能性を提案します。1999年度以降日本で行われている司法制度改革は、「21世紀の司法制度の姿」のうち、「国民的基盤の確立」として、「国民は、一定の訴訟手続への参加を始め各種の関与を通じて司法への理解を深め、これを支える」ことを掲げています(司法制度改革審議会、2001)。具体的には、裁判員制度の導入などが該当しますが、こうした理念の実現には、国民が法律の考え方を理解することが必要不可欠と言えるでしょう。このテーマは、人文学研究が縮小されつつある現代における未来の人文学のあるべき姿として、分野横断的な形で研究による新たな発見を想定しています。日本における国民の法律への意識の希薄さという問題の解決によって、国民が社会制度をしっかりと見つめ、社会に主体的に関与していく生き方を実現できると考えています。

日本の法律に対する難解さのイメージの原因となるものの一つとして、ことばの問題があります。

まず、難解な法律の問題点を考えます。「二割司法」という言葉があります。日本では、国民の二割しか司法サービスを受けられていないという問題をさした言葉です。2019年の調査によると、法的トラブルにあった人のうち、弁護士に相談するのは20.4%だというデータがあります。この調査では、弁護士に相談しない理由として、費用といった経済的要因のほか、「弁護士に頼むほどではない」「弁護士に頼むのは最終手段である」といった心理的ハードルが挙げられています(弁護士ドットコム、n.d.)。この心理的ハードルの根底にも、法律の難解さに基づく国民の法律に対する意識の希薄さがあるといえるでしょう。

法律用語においては、日常語とは異なる特殊な意味や表現が用いられることがあります。例えば、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」という三つの言葉を考えてみます。「遅滞なく」は、あまり日常生活で耳にしないかもしれませんが、「直ちに」「速やかに」は、日常語と言えるでしょう。広辞苑で「直ちに」「速やか」を引くと、それぞれ「時を移さず。すぐに。じきに。」「早いさま。ひまどらぬさま。」(ともに新村、1987)とあり、類義語のように思われますが、法律の世界においては、これらの単語は明確な区別を持って用いられています。以下は、昭和37年の大阪高裁の判決文からの引用です。「『すみやかに』 は、『直ちに』『遅滞なく』という用語とともに時間的即時性を表わすものとして用いられるが、これらは区別して用いられており、その即時性は、最も強いものが 『直ちに』であり、ついで『すみやかに』、さらに『遅滞なく』の順に弱まつており、『遅滞なく』は正当な又は合理的な理由による遅滞は許容されるものと解されている。(大阪高判昭和37年12月10日)」

もう一つの例は、翻訳語です。以下は、民法第八十八条からの引用です。

(天然果実及び法定果実)

第八十八条
①物の用法に従い収取する産出物を天然果実とする。
②物の使用の対価として受けるべき金銭その他の物を法定果実とする。

ここでの「果実」は、ラテン語のfructusを直訳した単語です。ラテン語のfructusには土壌産物や利益といった意味もありますが、日本語の「果実」では法律用語特有の用法であるため、聞きなれない語になっています(橋内・堀田、2012)。

法律用語において日常語とは異なる特殊な意味や表現が用いられていることにはどんな背景があるのでしょうか。そもそも、法律用語は法律問題の判断に用いられる材料であり、一つ一つに厳密な定義の必要があります。また、古田(2004)は、日本の法律用語は純然たる専門用語で、一般市民にとってはとっつきづらい一方、日本の現行法の基礎であるドイツやフランスの法律用語は誰でも知っている日常語からできており、法律が市民にとって身近な存在だと論じています。

日本の法律用語が難解なことの背景について考えます。まずは、日本語に存在する含蓄の習慣です。日本語は、伝達しようとする内容の中心的な部分を表明する言葉を用いることにより、他の種々の意味内容はその言葉によって示唆するという特徴を持ちます、伝達される意味内容の周辺は不確実なものとなり、受け手によって変化しうるものです(川島、1967)。また、多くの日本の法律用語が翻訳により成立した漢語中心であることも挙げられます。ギボンズ(2013)は、一般に法の言語の問題点として古文体や外国語の表現が用いられることをあげ、日本語においてはそれが漢語による表現に相当するとしています。野村(2016)は漢語が翻訳語のような造語を生み出すことに優れているとした一方で、かえって意味が捉えにくくなることがあるとしています。

ここまで日本の法律の難解さに着目してきましたが、日本の法律に欠陥や問題があると主張することが目的ではありません。むしろ、先述した難解な法律の問題点からもわかるように、専門家ではない一般の人々も法や司法制度の基礎を理解する必要があります。そのために私が考えるのは、「法教育」の必要性です。「法教育」とは、大学の法学部で行われているような専門的・実務的な教育というより、法律の根本的な考え方を伝えるためのものです。これまでの学習指導要領における「法教育」は、社会科・公民科が中心となって行ってきました(橋本、2013)。

刑法第三十八条の三に、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。」とあることからわかるように、法律は専門家だけが知っていれば良いものではありません。以上のような問題からも、非専門家であっても、法律を難解なものだとして遠ざけるのではなく、その基礎的な考え方を理解しようとする姿勢が重要だと言えるでしょう。

さらに法教育の必要性を裏付けるものとして、司法制度改革では「国民的基盤の確立のための条件整備」の一つに「司法教育の充実」を挙げています(司法制度改革審議会、2001)。村野(2003)は、「司法教育の充実」に必要な教育内容について、アメリカ合衆国の”Street Law”、すなわち、日常生活において実際に役立つ法の教育制度から考察しています。1972年に始まったストリート・ローという名称の教育は、現在では全米組織(National Institute for Citizen Education in the Law)の設立に伴って全米規模に広がり、「法を遵守し、基本的人権と自由を擁護する一方で、不公正な法に反対し、司法制度の改善のために協働する合衆国市民を育成する」ことを目標とし、高等学校における教育実践がなされています(村野、2003)。日本の法律の難解さとして取り上げてきた通り、法律は言葉で表現されたものです。橋内・堀田(2012)が、「『法教育』とはすなわち『法言語教育』である。」としているように、我々が法律的なものの考え方や価値観を学ぶことは、言語と向き合うことだと言えます。国語科における法教育の実践例の一つとして、札埜(2013)は高校の国語教育における模擬裁判の導入をあげており、その教材としての利点に、専門性のある学習を通じて社会とのつながりを感じさせることができることや、情報処理・活用能力をはじめ、相手や第三者を説得するための話し方などことばの力を獲得することにつながることなどを挙げています。他にも、契約文書や裁判の判決文といった法律に関わる文章を読み、考えるという作業も国語教育の一環として導入できるでしょう。論理に基づいて組み立てられた文章を読むことでことばの運用能力を育てつつ、社会生活に必要な最低限の法律的な考え方や知識を育てることもできるのではないでしょうか。ここまで書いてきた「法言語教育」についての考え方は、法律の問題を言語の観点から捉え直すものです。法律への意識を高めることで、国民が社会に主体的に関与し、いきいきと活動できる社会が実現できると考えます。こうした分野を横断した捉え方は未来の人文学に必要な姿勢であり、人々が暮らしやすい社会の実現はこれからの人文学が取り組むべき課題の一つだと考えています。

 

参考文献

大阪高判昭和37年12月10日高裁判例集第15巻8号649頁。

川島武宜『日本人の法意識』岩波新書、1967年。

司法制度改革審議会「司法制度改革審議会意見書−21世紀の日本を支える司法制度−」2001年6月12日。https://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/index.html、2022年4月1日閲覧。

ジョン・ギボンズ『法言語学入門 司法制度におけることば』中根育子監訳、鶴田知佳子・水野真木子・中村幸子訳、東京外国語大学出版会、2013年。

新村出編『広辞苑第三版』1987年、岩波書店

野村雅昭「わかりやすい日本語とはなにか」野村雅昭・木村義之編『わかりやすい日本語』くろしお出版、2016年

橋内武、堀田秀吾編著『法と言語 法言語学へのいざない』くろしお出版、2012年。

橋本康弘「『法教育』の現状と課題−官と民の取組に着目して−」『総合法律支援論叢』第2号、 2013年、45-59頁。

札埜和男「国語教育からのアプローチ」『刑法雑誌』第52巻1号、2013年、16-29頁。

古田裕清『翻訳語としての日本の法律用語』中央大学出版部、2004年。

弁護士ドットコム(n.d.) 「弁護士ドットコムが目指すこと」https://www.bengo4.com/corporate/service/bengo4/about、2022年2月25日閲覧。

村野和子「日常生活における法関連問題に取り組む市民の育成 アメリカ合衆国”Street Law”の教育内容と方法」江口勇治編『世界の法教育』現代人文社、2003年。

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