日本への想い:記号論的散策で距離を埋める - 東京カレッジ

日本への想い:記号論的散策で距離を埋める

2022.03.29
Viktoria ESCHBACH-SZABO

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この2年間、多くの人が遠く離れた場所に出かけることを断念してきました。新型コロナウイルス感染症のパンデミックで移動が制限され、物理的隔たりが広がり、これまで以上に距離を意識させられています。この影響は私たちの学生に限らず、遠隔学習を経験した世界中の学生に及んでいます。彼ら彼女らは教員や他の学生と直に接する機会がありません。留学の機会、あるいは旅行して世界を見聞し学問的研究を補う機会すら失った学生が多くいます。ここドイツのテュービンゲン大学日本研究学部では、予定していた同志社大学への留学が見送られました。私たちは状況が好転するのを待つのみですが、その間、実際に訪ねることができなくとも、個人的に意味のある場所や文化とのつながりをどうすれば感じることができるのでしょうか。

私自身、日本にぜひ行きたいという思いでいます。日本は私がかつて暮らした場所であり、この数十年間に幾度となく行き来したところです。私はこれまで日本文化、日本語、日本の歴史を研究してきました。研究と日本滞在をとおして、日本は私の文化的・言語的アイデンティティの一部になっているのです。私は日本について日々研究し、執筆していますが、パンデミックが収束せず、日本再訪がかなわないままです。

私が特に懐かしく思うのは、鎌倉にある報国寺の庭園です。初めてたまたま報国寺に立ち寄ったのは1979年のことで、今でも、日本に行ったら訪ねたい最も大切な場所の一つになっています。後年、私のホームステイ先だったコジマさん一家が報国寺の近くに引っ越したので、よく一緒に報国寺に出かけたものです。偶然のことですが、ここテュービンゲンにいるアメリカ人の知人も日本に住んでいたとき、報国寺に魅せられたことを最近知りました。私と同じく、彼女もいつか報国寺を再訪したいと夢見ているのです。私たち二人が同じ場所に懐かしさを感じていることは興味深いことです。私は40年来報国寺の庭園に魅力を感じていて、ぜひともまた行きたいと思っています。友人や学生が日本に来るたびに、私は彼ら彼女らを報国寺に案内していました。とはいえ近い将来、報国寺に行くことはかないそうにないので、パンデミックの期間、私は自分自身と学生のために、報国寺のような日本の寺院をリモートで体験する方法を模索しています。そのために次のような問いをたてました。「報国寺ではどのような体験ができるのか、私が報国寺に引きつけられるのはなぜか。」

図1. 報国寺の庭園
Frankl, Aliona 撮影(2009). 個人蔵

報国寺を懐かしみながらその光景を思い浮かべてみましょう。山門をくぐり、細い道を水音のするほうへ歩いていく。木橋を渡り、本堂に着くと、そこは開放的な中庭。この明るく広い中庭を木々が取り囲み、季節ごとに色鮮やかな花や葉をつけて拝観者を迎えてくれる。本堂を過ぎると、左手にもう一つ日当たりのよい庭園がある。その先は薄暗い竹林。竹林に足を踏み入れると、景観は一変する。薄暗くて涼しく、外界から遮断されたよう。石畳の周囲は孟宗竹。頭上に空は見えず、どこに行き着くのかさえわからない。一面、緑の世界。歩き続けると竹林の中に小さな庵があり、そこで抹茶をいただく。この静かな場所に浸っていると、竹がそよ風に揺らぐのが見え、竹林と横穴式墳墓の間を流れる水の音が聞こえる。

報国寺はパワースポットとして知られています。「パワースポット」は、日本語と日本文化の中で新たな意味を獲得した和製英語の粋な一例です。パワースポットは、精神や身体、心の充電の場といった日本の概念を表すものです。パワースポットを訪れると、人は周囲の自然との調和を感じることができるのです。報国寺の庭園は苔がむし、竹林内に道がめぐらされていて、間違いなくパワースポットです。幸いにも、庭園や茶室を撮影した複数のビデオをオンラインで見ることができます。そのおかげで、私や学生は報国寺を視覚体験することができます。ビデオは撮影当時の報国寺の様子であって、もちろん、実際に訪ねるのとは違い、報国寺の雰囲気や場所の感覚を体感することはできません。事物や記号、生き物が互いに関係しあって、そこにどう存在しているのかを体感することはビデオでは不可能なのです。

報国寺には、2000本以上の孟宗竹から成る見事な竹林があります。靴下など、孟宗竹製の日用品が人気を集めているので、おそらく多くの外国人は「孟宗」という言葉をご存じでしょう。しかしながら、孟宗と関係するのはそれだけではありません。報国寺と同じく、孟宗は長い文化史に位置づけられ、報国寺の元来の目的と文化的背景を表しているのです。この竹の名称は、母と息子の故事に由来しています。孟宗は、孝行の徳をめぐる古典的な儒教物語に登場する主人公の名前で、病気の母を看病する息子が、母の病を癒すために竹の子を探しに行くという話です。

孝行とのつながりは、将軍家の戦の歴史の中にある報国寺の起源にも見ることができます。報国寺の開山は1334年で、室町幕府初代将軍足利尊氏の祖父、家時が開基です。足利一族の墓所、菩提寺であり、彼らの墓は境内の崖に掘られた横穴に祀られています。おそらく多くの日本人にとって、孟宗という言葉は、世代間の歴史と関係しているでしょう。こうした記号論により、背景知識がなければ注意を払わないような場所とより深くつながることができるのです。孟宗がもつさまざまな関係性は、つながりの深さは言語的・文化的理解の深さとしばしば相関することを示しています。

もちろん、ここヨーロッパにある日本庭園を訪ねることで、報国寺の庭園とのつながりを感じることができます。日本庭園の起源は1200年も前にさかのぼりますが、ヨーロッパで日本風の庭園を造ろうとしたのは148年前のことです。1873年、オーストリア・ハンガリー帝国のウイーン万国博覧会でヨーロッパで初めて日本庭園が開園しました。フランツ・ヨーゼフ皇帝と有名なエリザベート皇后はフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと親交があり、この庭園の愛好者でした。

図 2. 日本庭園の開園にオーストリア皇帝・皇后が臨席
出所: http://www.wiener-weltausstellung.at/faszination-fernost.html

19世紀末以降、ヨーロッパでは日本庭園を模した庭園ブームが起きます。「異国情緒」のある文化に引きつけられ、日本文化の「心」を知りたいという関心は今日まで続いています。こうした現象は、ヨーロッパ人にとって「日本的」とは何を意味するのか、それは日本人にとって何を意味するのか、こうした概念は庭園などの場所にどのように表れているのかといった問いを投げかけています。庭園を「日本的な」ものにしているのはいったい何なのでしょうか。あらゆる輸入品はグローバルな側面を備えていて、これは、「日本」庭園とは何かという認識を変えます。日本庭園は文化を翻訳したものであり、それゆえ、ヨーロッパにおける庭園の概念に影響を与えます。日本以外の国で、ごく小さな玉石に至るまで日本庭園を複製することは可能ですが、それはある時期のヨーロッパ文化の一部に過ぎません。完璧な「本物」はありえないとしても、ヨーロッパの庭園が本来の日本庭園にいかに近似していようと、日本の庭園に深く根差した場所感覚や日本庭園が持つ歴史的背景を再現することは不可能です。

とはいえ、ヨーロッパの日本庭園は日本の植物を移植し、「日本的なるもの」で構成されていて、日本とのつながりが感じられる場です。テュービンゲン大学植物園には小さな日本コーナーがあります。植物園の創設者フランツ・オーベルヴィンクラー教授は日本の植物と庭園に魅せられ、日本とのつながりを表すためにこのコーナーをつくりました。そして後に娘のミヒャエラ(日本研究者)とともに日本植物目録を作成したのです。[3] この大学植物園の日本コーナーは、以前は私の学生たちが日本語を覚える場でもありました。学生たちとそこへ行って、植物ラベルに書かれた日本語を学び、日本と西洋の出逢いを感じたものです。パンデミックの間は入園が制限されています。おそらく以前は、訪日への期待に比べたら、この日本コーナーの存在感は薄かったでしょう。しかし今はこの「日本」空間が、日本を思い描き、日本とのつながりを感じる場を提供しているとも言えるのではないでしょうか。さらに、学生はここで日本語と日本の植物について知識を深めることができ、そうすることで、行ってみたい場所とのつながりも生まれます。この一角を散歩し、日本語を読み、話すことができれば、ひとときであれ、日本との距離が少し狭まったように感じられます。

日本の鑑賞式庭園は、貴族階級のための娯楽と休息の場として築造されたものですが、それらを模倣した日本庭園は世界中にいくつもあります。日本語の「わび・さび」や「幽玄」という言葉は知っていても、道教や仏教、神道、儒教の理念と、庭園の設計にこめられたそうした理念の象徴的表現をとらえるのはとても難しいと思います。ヨーロッパの数多くの日本庭園と違って、報国寺の庭園は精神的な意図をもって設計されています。報国寺は、中国で学んだ臨済宗の僧・天岸慧広によって1334年に開山されました。報国寺の庭園は回遊庭園に分類されており、たしかに散策と思索に適した理想的な庭園です。実際、この庭園が天岸慧広を詩歌の創作に向かわせ、竹林の中にある庵(現在は茶室として使われている)で歌が詠まれたのです。

図 3. 報国寺の竹林
Frankl, Aliona 撮影 (2009年). 個人蔵

報国寺の竹林は、ウォーキングメディテーション(散歩をしながらの瞑想)ができる空間です。竹林に一歩足を踏み入れると、世界は緑としろがね色に覆われ、頭上に空は見えず、竹が密生していて空地はありません。揺れる幹の間からかすかに木漏れ日が射しますが、竹林の広さや、竹林がどこまで続くのかはわかりません。聞こえてくるのは無数の竹がきしむ音と、他の散策者の小さな声、そして自分自身の息遣いだけ。繊細な動きの空間です。木漏れ日がちらちらし、竹が揺れ、きしむ。幹の間から見える光景は一足ごとに変化します。「孟宗」という語は「妄想」と同音で、絶えず印象が変わり、臨場感のある「総合芸術」環境を思わせます。この空間の設計は訪れる者に、視覚・聴覚・認知感覚によって得た情報の記号論的解釈によって「気づく技」を実践させます。空間のダイナミズムと不確定性が、「耳を傾け、注意を払うよう促すのです」。[3] この竹林は、散歩をしながら観察し思索する静かな空間を提供しています。ウォーキングメディテーションをしていると、周囲のものや身体、思考の微妙な変化に気づくことができるのです。

幸いにも、ウォーキングメディテーションは日本の小さな寺院に限るものではありません。もちろん、そうした目的で設計された空間を実際に散策することの効果は大きいですが、報国寺の「妄想」はどこでも生み出すことができます。テュービンゲンとその周辺地域には、散歩に適した同じような、うっそうとした静かな森があります。散歩をし、周囲のものや身体、心のわずかな変化に気づくだけで、報国寺の庭園が持つ精神的意図につながることができます。こうした体験によって、ごく身近な環境とのつながりも深められます。みなさんのお気に入りの散歩スポットが個人的なパワースポットになるかもしれません。

ガイダンスをご希望の方向けには、日本から取り入れられた最新のものに森林浴があります。今、学生を森に連れていって散歩させるのは日本研究者だけではないようです。

図 4. 森林浴(シェーンぶーふ自然公園の2018年度パンフレットより)
出所: https://www.naturparkmagazin.de/schoenbuch/veranstaltungen-im-mai-2018-im-naturpark-schoenbuch/

ここドイツでは、日本発祥の森林浴の理念が次第に人気を博し、入門書、研修プログラム、有料ガイドをとおして広がっています。一部、健康保険の対象になっているものもあります。独りで歩くか、専門知識のある森林浴ガイドに案内されて歩くかにかかわらず、マインドフル散歩は報国寺までの距離をいくらか縮めてくれるように感じます。私たちは遠く離れた場所に行ける日を心待ちにしながら、そうした場所とのつながりをつくり、維持する創造的な方法を探しているのです。そうした別のやり方を探ることで、弾力的かつ柔軟であろうとしているのかもしれません。まるで孟宗竹のように。

図 5. 報国寺の入り口
Frankl, Aliona 撮影 (2009年). 個人蔵

 

References

Text Citations

[1] Eco, U. & Marmo, C. (Eds). (1989). On the Medieval Theory of Signs. In A. Eschbach, (General Ed). Foundations of Semiotics (Vol. 21). Amsterdam & Philadelphia: John Benjamins Publishing Company.

[2] Oberwinkler, Franz. (2007). Japanische Pflanzen im Botanischen Garten der Universität Tübingen. テュビンゲン大学の植物園にある日本植物. Tübingen: Botanischer Garten der Universität.

[3] Tsing, Anna. (2012). Arts of Inclusion, or How to Love a Mushroom. Mānoa, 22(2), 194. https://www.jstor.org/stable/41479491

 

Figure References

Figure 1. Frankl, Aliona. (2009). Garden at Hōkokuji [Photograph]. Private collection.

Figure 2. Kollarz, F. (1873). Der Garten der Japanesen und dessen Eröffnung durch das österreichische Kaiserpaar [Xylography]. http://www.wiener-weltausstellung.at/faszination-fernost.html

Figure 3. Frankl, Aliona. (2009). Bamboo Grove at Hôkokuji [Photograph]. Private collection.

Figure 4. Naturpark Schönbuch. (2018). Veranstaltungen im Naturpark Schönbuch [Brochure]. https://www.naturparkmagazin.de/schoenbuch/veranstaltungen-im-mai-2018-im-naturpark-schoenbuch/

Figure 5. Frankl, Aliona. (2009). Entrance at Hôkokuji [Photograph]. Private collection.

 

 

 

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