コロナ禍のコミュニケーション - 東京カレッジ

コロナ禍のコミュニケーション

2020.06.23
Viktoria ESCHBACH-SZABO

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感染拡大の危機に際しては、言語の問題が重要である。私たち言語学者は、グローバルな世界でより良い国際協力を促すために、多言語社会の市民への情報提供はどのようにあるべきかを考察している。

感染拡大期の言語のインパクトを例示するために、大学都市テュービンゲンのある光景を紹介したい。下の写真は、有名なヘルダーリン塔(詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770~1843年)がコレラ流行時に長く隠遁した場所)を臨む小さなネッカー島で撮ったものである。

写真のインスタレーションはヘルダーリン塔の真向かいに設置されている。公衆衛生上の世界的な緊急事態に反応した若者の作品であり、今の時代の表象と言えよう。ドイツ語と英語を使用して、未来のための行動と明確な将来計画を地元地域と世界に呼びかけている。“Stellt die Weichen – for Future”は「未来のために行動してください」、“Ich warte bis ihr handelt”は「あなたの行動を私は待っています」という意味である。説明するまでもない「SOS」のサインがその間に見える。

このまじめだが滑稽なインスタレーションの狙いは、コロナ後の世界を変えることにある。学生が自分たちの政治活動を記録に残すと同時に、未来の建設に貢献しようとしていることが伝わってくる。また、「新ドイツ語法」あるいは「デングリッシュ」(英語を織り交ぜたドイツ語)とも解釈できる。写真の人形たちは死と道化を想起させ、コロナ時代のコミュニケーションが喫緊の課題であることを示唆している。

 

言語学のレンズを通してパンデミックを経験する

東京カレッジへの投稿に当たり、ハーバード大学の友人アンドルー・ゴードンの言葉を引用したい。彼は、私たちは「真に異常な時代を生きている」と述べている。私の場合、「異常」への急変は3月に始まった。テュービンゲンで東京カレッジの次回講演の準備をしていた時だ。古くからの大学都市テュービンゲンが突如、ヨーロッパにおける新型コロナウイルスのホットスポットになった。それまでドイツメディアは、感染するのは主に中国人か中国で濃厚接触した人だろうと強調していた。

隣国のイタリアとオーストリアで感染者が急増し、その後、わが大学病院でクラスター(感染者集団)が発生した。ごく普通に享受してきた自由が大幅に規制されるなど、制限措置が取られた。人との接触制限ルールは州によって違ったが、さまざまな店や事業所がやや厳格なまでに閉鎖され、イベントの開催が禁止された。とはいえ、ほとんどの市民にとって耐えがたい生活ではなかった。テュービンゲンは近くに広大な森があり、端から端まで歩いて行けるほど小さな市だが、質の高い医療サービスを提供している。

結局、私は感染拡大をテュービンゲンで体験したが、新型コロナウイルスが世界的な問題になった初春は東京にいた。東京カレッジに招かれて研究を進めることができたし、現在のコロナ危機で研究プロジェクトに予想外の側面が加わった。このプロジェクトでは、世界における日本語の位置づけ、および日本語と他の言語のつながりを探っている。

日本語はスーパーセントラル言語、つまり、世界のほとんどの言語にとって重要な接触言語である(Abram de Swaan 2001)。日本語は先進国の大半の大学で教えられているし、日本以外の国のさまざまな場(レストラン、メディア、タトゥーなど)でも使われている。テュービンゲンには、日本語の店名をもつ店がいくつかあるが、新型コロナウイルスに伴うロックダウン期間はいずれも休業を余儀なくされた。「Ribingurumu」(リビングルーム)は、レストラン「Kadoya」(門口にあるレストランの意)の近くにあり、若者に人気のパブだ。昔ながらのマーケットからさほど遠くないところには、「Kami」というデザインショップがあり、若い夫婦や親子連れが日用品を買っていく。日本語の「カミ」は「加味、上、紙、髪、守、神」を意味する。

店名を表す日本語は抽象的かもしれないが、医療コミュニケーションは具体的なものになることがある。当初、新型コロナウイルスは子どもより高齢者にとって深刻な脅威だと見られていた。ところが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が子どもの健康を脅かすようになると、こうした理解は一変した。COVID-19との関連で「川崎病」と呼ばれる症状が最初に認められたのはパリにおいてである。この病名が日本語であったため、地元の親たちが私にいくつも質問を寄せた。日本研究者であるなら、川崎病の症状と治療法について情報を提供してくれるだろうと思われたのだ。私の研究分野と関係なくとも、日本語の意味を説明してほしいと言われることがよくある。聞きなれない日本語の病名ゆえに私はこうした立場におかれ、ヨーロッパ言語に入り込んだ日本語の影響をあらためて感じた。

 

危険な状況にある時、公的機関はどのように情報を伝えるのか

他の言語からの借用語が周囲に多々見られるが、現状を多言語で理解するために十分なことがなされているのか、こうした困難な時期に、コミュニティの住民たちはどのようにして情報を得ているのか、問いかける必要がある。私が日本にいる時にできたのは、街で出会った人たちに、日本とドイツのニュースを比べてどうですか、と尋ねることくらいだった。日本のメディアは、ドイツよりかなり早くからマスク着用の有効性を報じていた。早くからマスク着用を呼びかけた日本の方策のほうが理にかなっていたと思う。私は日本語も理解できたから、2つの国の政府から情報を得、その情報に基づいて自分の行動を改めることができた。

公衆衛生に関する情報の伝達は、感染拡大の抑制に欠かせない。事実、感染拡大が進む中でソーシャルメディアがとても大きな役割を果たし、「ニュース・インフレ」を招いていると言われた。多くの人々は信頼できる情報を十分に得られず、同時に、ソーシャルメディアを通して拡散される誤った情報の洪水にさらされている。ここで私たちはまたもヨーロッパの言語政策の問題に行き着く。誤解を招くフェイクニュースを避けられるよう、他の国々の政策や情報が翻訳されているだろうか。

文化と言語の障壁は私たちの社会のどこにあるのか。大学都市テュービンゲンの住民はまさに多国籍であり、情報は言語に依存することを私たちは認識しなければならない。言語と情報伝達に関するこうした問いかけを、私は東京カレッジで行った言語政策に関する短い講演で投げかけた。私はこの講演で、自分自身の研究プロジェクトと、東京カレッジの共同研究のテーマをつなげようとした。

言語と文化の障壁は、テュービンゲン大学東アジア文献学科に負の緊張をもたらした。市内に住む中国出身の一部の学生や研究者がアジア人に対する差別があると訴えたことから、アジア人保護の取り組みがいくつも始まった。これは私にとって、目からうろこの経験だった。私はヘイトスピーチや差別的な言語などを研究テーマとしてきたが、そうしたテーマの多くが書き言葉における抽象的存在から、人と人の顔の見える関係において発生した緊急テーマに変わったのである。

 

社会が多様であるように、医療情報も多様なのか?

感染が拡大するなか、言語的不平等の危険が表面化した。社会に感染拡大の懸念があれば、公的機関の言語政策は、誤情報や言語の障壁を回避する役割を果たさなければならない。こうした言語上の問題があると、公衆衛生関連の情報が、言語的に多様な住民にタイムリーかつ正確に届かないかもしれない。ドイツの諸機関は、ドイツ在住者全員がドイツ語を話したり読んだりできるわけではないことを認識し、ヨーロッパ言語に限らず他の言語でも十分な情報を提供すべきである。

バーデン・ヴュルテンベルク州の州都シュツットガルトに住む人たちの50%以上は、母語がドイツ語ではない。同州のウェブサイトは主要な情報を英語、フランス語、イタリア語、ポーランド語で提供しているが、欧州連合(EU)の公用語をすべてカバーしているわけではない。シュツットガルト市はアラビア語、ペルシア語、クルド語、ロシア語、ティグリニャ語、トルコ語でも情報を提供している。

こうしたオンライン情報がドイツ語以外の言語で提供されても、オンライン情報にアクセスできない人たちは利用できない。さらに、現状を見ると、翻訳者が不足しており、治療の過程で得られる多言語情報が十分でない。感染拡大時に良質のタイムリーな情報が得られることは一般市民にとってきわめて重要であるだけでなく、医療従事者やあらゆるレベルの意思決定者にとっても不可欠だというのが、公衆衛生専門家の一致した見方である。さらに重要な点を指摘するなら、中国武漢での感染発生直後がそうであったように、しかるべき情報が地方語では得られなかった。バーデン・ヴュルテンベルク州独自のスローガンに「私たちは標準ドイツ語を話すこと以外は何でもできる」というものがある。この場合、標準ドイツ語が難しいのは、 “atypische Manifestationen”(異常な症状)などラテン語の医学用語が使われるからかもしれない。標準ドイツ語を話せる、れっきとしたネイティブ・スピーカーでも理解できるとは限らない。もちろん、バーデン・ヴュルテンベルク州生まれのほとんどの住民は標準ドイツ語が一応わかるが、母語が異なる人、言語能力が異なる人がいることを私たちは考慮すべきである。新型コロナウイルスと闘うには、明確な説明が不可欠であり、ドイツ語に通じていない人たちにもわかりやすい言葉で情報を提供することが強く求められる。

公的機関はウェブサイト閲覧者がより詳しい情報を得られるよう、国連やロベルト・コッホ研究所にリンクを張っている。たとえば、世界保健機関(WHO)のCOVID-19関連サイトは国連の6つの公用語(アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語)で閲覧できる。WHOの情報は加盟国に向けられたもので、各国は自国の保健当局を通して関連情報を国民に伝えなければならない。

ドイツの中央保健機関であるロベルト・コッホ研究所は、ドイツ語と英語で情報を発信している。連邦移民難民統合委員、連邦保健省、エスノメディカル・センターを擁する連邦政府は言語マップの拡大に乗り出している。当初の予定よりやや遅れたが、連邦政府は現在、ヨーロッパ言語のほか、数多くの非ヨーロッパ言語でも一般情報を提供している。

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これを見ると残念ながら、日本語などアジアの重要な言語がいくつか抜けている。オーストリアのウェブサイトには日本語のページもある。おそらくオーストリアを訪れる日本人が多いからだろう。

国家機関は多言語による情報提供がかなり遅いが、企業は翻訳アプリや翻訳サービスを用意して、より積極的に対応している。ドイツの一部の医療保険会社は、健康問題に関する情報を多言語に翻訳してもいる。

ある日、私は次のような場面を目にした。コロナウイルス感染防止のための規制で診察室に入れるのは患者1人と決まっていたが、医師は例外的に2人の入室を認めるべきか迷っていた。患者はトルコ人で、ドイツ語を話せる娘が、通訳として母親に付き添いたいと申し出たのだ。病状が深刻であったためか、その医師は患者とのコミュニケーションを明確にするために2人を受け入れた。

東京カレッジのコロナ・プロジェクトに関して最も注目すべきは、言語空間とローカルおよびグローバルな多言語アイデンティティとのつながりである。緊急時においても、紛争時においても、言語空間はなんと柔軟で変幻自在であることか。このような異常な時代に新たな多言語プロジェクトが生まれている。長く続いてほしいし、今後さらに発展してほしい。健康について知るべきことは、国・地方レベルでもっと多くの言語に翻訳されるべきである。私たちはここでさらに一歩踏み込んで、翻訳するだけでなく、社会との関連で言語の課題を探求しなければならない。学術機関に身を置く私たちは、福祉言語学(welfare linguistics)が未来にもたらすものに光を当て、考察できるはずである。

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