Covid-19緊急事態に関する4人のイタリアの哲学者のコメント | 東京カレッジ

Covid-19緊急事態に関する4人のイタリアの哲学者のコメント

2020.03.17
イタリアのスーパーの前の列
Flavia BALDARI
Flavia BALDARI

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「コロナウイルス」は、2020年の初めから世界の話題をさらっているテーマです。この数週間の間に、ウイルスは中国だけではなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカ各地へも拡散しました。この文章を書いているときに、イタリア全体(以前からそうだった北イタリアだけでなく)に外出禁止要請が出されたというニュースを聞きました。イタリア人である私は、この報道に接し、大変心配しています。イタリアで最初に爆発的な感染が起き、いくつかの町が隔離された時、私は現地にいました。数日のうちに、北イタリアの多くの都市が活動の減速を余儀なくされました。二週間経つか経たないうちに、北部の病院のICUは感染した人々で一杯になり、非常事態に対処できなくなりました。こうして、政府はロンバルディア州と北部のいくつかの町に講じられていた措置をイタリア全体に拡大することを決定したのです。学校と人が集まる場所(劇場、博物館、映画館、ジムなど)は閉鎖され、レクリエーション活動は中止。バーとレストランは、午後6時以降は閉店となりました。また、企業は社員が可能な時間に自宅で仕事をするよう呼びかけたり、社員に休暇を取らせたりしています。中小企業だけでなく、娯楽や観光に関わるビジネス全体が早晩危機に陥るだろうことは想像に難くありません。
移動や集会が最小限に抑えられているこの異常事態の中で、私たちにできるのは、ただ立ち止まって、待つことだけです。一方で、この困難な状況を少しの間だけ忘れるなら、私たちは、せわしない日常からは決して得ることのできない時間を与えられているともいえるでしょう。現在生じている事態、日常生活の設計、避けがたい変化と待っている新しい生活などについて考えるためには時間が必要です。このような時間の余裕は、いつも与えられているわけではない「贅沢」だと言えるでしょう。

2020年2月26日にIl manifestoという新聞にジョルジオ・アガンベンの論説が掲載されました。これをきっかけに、今回の緊急事態に関する議論が、4人の哲学者(ジョルジオ・アガンベン、ジャン=リュック・ナンシー、ロベルト・エスポジト、ルカ・パルトリニエーリ)の間で交わされます。アガンベンの論評に端を発する感染症、政治、生政治、グローバル化された世界に関する一連の意見交換を、以下で紹介してみることにします。
「感染の発明」と題されたアガンベンの記事(イタリア語英語)は、イタリア政府がとった「取り乱し、非合理的で、断固として不当な緊急措置」に対する告発です。アガンベンは今回のウイルスはインフルエンザの変種にすぎないとしてその重症性を否定し、メディアがパニックを煽っていると主張しています(確かに、私がイタリアにいた間、テレビのニュースと政治討論番組は、正直にいえば、他のトピックを扱ってはいませんでした) 。メディアが当局とともに「真の例外的状況」を引き起こしているのではないかとアガンベンは考えています。彼の批判の主眼は、「例外状態を通常の統治パラダイムとして使用する」傾向に向けられています。それは、「テロとの戦い」のように、個人の自由を制限することで政府に権力が集まる機会を提供するからです。さらに、アガンベンによれば、近年、恐怖を覚える度合いが個々人の心の中で増しており、それが結果として「集団的なパニック状態を生み出している」と言います。スーパーマーケットへ急ぎ、棚に残っているものを購入したり、封鎖された地域から脱出したりすることが、その例として挙げられるでしょう。
アガンベンの記事に最初に応答したのはナンシーでした。(2020年2月28日、 “Eccezione virale”[ウイルスの例外]、イタリア語とフランス語、、部分的な英語の翻訳)ナンシーは、現在、国家の権力は強大化してはおらず政府は単なる執行者にすぎないとし、「ウイルスのように拡散・流行する生物学的、ディジタル、文化的な例外がパンデミックとなっている」ことに焦点を当てています。例外が標準となり、それは私たちの生活のあらゆる側面がディジタルにつながることによってさらに強化されているというのです。
生政治的パラダイムを犠牲にしてまで技術機器に与えられる重要性こそが、ロベルト・エスポジトの議論の出発点です(「Curati ad oltranza」、2020年2月28日、 [無期限に治療される]、イタリア語)。エスポジトは、国家が全面的に生政治を展開していると認識しています。あらゆる対立や措置の中心に、政治と(生物学的な)生命との関係があるためです。 エスポジトによれば、コロナウイルスによって引き起こされた今回の緊急事態において、2つの要素が明確になりました。それらは、1)「政治の医療化」-福祉国家はある種の「摂理(Providence)国家」として、市民を「治癒する」ことを目的とする。 2)「医療の政治化」-本来その責任下にはない社会の管理という役割が医療に与えられる。 エスポジトによる結論は、アガンベンのそれとは逆です。彼は公権力が劇的にすべてを把握しているのではなく、分解していると見るのです。
最後に議論に参加したのは、ルカ・パルトリニエーリです。(「黙示録の一般的なリハーサル」、2020年3月1日、イタリア語)彼は西洋の経済システムとそれがたどりついた持続不可能な結末(特に気候変動の緊急事態)について幅広く論じます。パルトリニエーリによると、私たちの目の前にある「黙示録」は、進歩の終末ということです。ここでいう進歩とは物質的な意味でのそれ、すなわち「生産と流通の増大」です。私たちの子孫が、私たちよりも(物質的に)良い生活を送ることは不可能でしょう。つまり、私たちの世界観をこれ以上長く持ち続けることはできないのです。しかし、私たちはそのことにどれだけ気づいているのだろうと哲学者は問います。パルトリニエーリによると、選択の自由(「消費の可能性」ともいえる)と理解されている自由を私たちはそう簡単にあきらめないでしょう。それが、貧しい階級の状況を改善するプロセスに由来しているからです。この改善は、出生率と死亡率の低下をもたらす一方で、「先例のない生態学的大惨事」という犠牲を私たちに強いました。私たちを待っている未来は、「崩壊」(effondrement)です。それは、国家がすべての市民のニーズに応えることができないということを意味します。コロナウイルスの発生とそれに伴うICUのベッド不足と強制隔離に起因する経済的困難は、その一例です。
また、パルトリニエーリは、アガンベンとナンシーがあたかも「一つの世界」が存在するかのように論じている点を非難します。中国はヨーロッパではありません。彼によれば、中国における緊急管理体制は、ヨーロッパで理解されている例外状態とは異なります。一方、彼は摂理国家の公権力分解という点で、エスポジトに同意します。もはや、ヨーロッパにおける自由の概念を支えてきた「経済発展と人口増大の間の好循環」によって市民を保護または「治療」(エスポジトが使用した用語)することはできないと彼は言います。ウイルスとの戦いのように、「自由」か「救済」のどちらかを選ばねばならないのです。救済の唯一の可能性は、「経済成長の自由(他人を犠牲にしてのみ自分を救うことができる)、物質的な選択、個々の所有という考えをやめる」ことです。

この四人の哲学者に賛同するか否かは別として、現在の危機について異なった角度から考えるための参考になると思い、彼らの意見を紹介しました。悲劇の渦中にあっても、この感染が私たちの見方を深め豊かにする機会となりうると信じています。

イタリアのスーパーの前の列
イタリアのスーパーの前のお客さんの列

店に貼ってある"Stay at home"のメッセージ
閉まっている店に貼ってある「家にいなさい」のメッセージ

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