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日本とアメリカを行き来する人生—日本文学との出会いと現在

2023.06.08

日本文学で職を得るために

 ここで、アメリカにおける日本文学研究の現在とこれから、そしてそれが日本とどう関わるかに話を移したいと思います。まず、就職とテニュア取得の問題から始めましょう。

 北米や英国で日本文学の分野の就職面接をおこなう場合、面接委員は通常、英米文学やヨーロッパ文学、歴史、宗教、その他の分野の人で構成されることになります。日本文化に詳しい人は、おそらく委員の中に一人しかいないでしょう。キャリアは二段階になっていて、まずフルタイム(専任)のポストに採用され、次に6−7年後にテニュア(終身在職権)を得る(あるいは得られない)、ということになります。テニュア取得には、出版済みの著書1冊に加えて、2冊目の本の一部、そして論文が何点か必要です。テニュア審査委員会も、一般的には日本文学の分野以外の教員で構成されます。これは、日本文学が小さな分野であるという一般的な状況を反映したものです。日本文学の教員がいない大学もたくさんあります。

学際的かつ国境を越えたアプローチ

 私は幸運なことに、この30年の間に、日本古典文学研究を目指した院生を中心に35人以上の博士号取得者を世に送ることができました。注意深く、かつ広く読むことができるように指導を心がけました。大学院のセミナーでは、授業の前半でテクストを精読し、後半でオープン・ディスカッション(自由討論)をおこないます。例えば、読んでいるのが和歌であれば、後半では「集」について、それが日本文学研究にもちうる意味について議論する、ということもありえます。歌集や勅撰集だけでなく、説話集や『今昔物語集』、さらに『平家物語』や井原西鶴の『好色五人女』のように、タイトルに「集」とはついていなくても「集」的な構造をもつ作品などを取り上げます。  ジャンル、作者性、教育、文化的記憶の伝達などを理解するうえで、「集」や「集」としての構成はどのような意味や働きをもつのか、といった問題を議論し合うのです。

 博士論文について言えば、学生たちが書く論文は、日本の古典研究の領域の内部にいる人たちと、日本文学についてほとんど知識のない外の分野の研究者、その双方にアピールするものでなければなりません。就職の面接も同じです。分野外の人たちにもアピールできるように、自分のテーマを組み立てなくてはなりません。つまり、外部の人、とりわけヨーロッパ研究の専門家が共感できるような、日本文学以外の知識や方法論を身につける、ということです。これは「理論」とも呼ばれますが、意味するところは抽象的・哲学的なものとは限らず、共通の批評的言説を学ぶ、ということなのです。

 例えば、博士課程の学生が歌舞伎を研究する場合なら、シェイクスピアやヨーロッパ演劇の授業を受けたり、パフォーマンス研究や演劇史のサブ領域を開拓したりすることが期待されるでしょう。シェイクスピアやヨーロッパ演劇、日本以外の東アジア演劇を博士論文に扱わないとしても、ヨーロッパ演劇やパフォーマンス研究の基本概念を知り、それらも念頭に入れて論文の構成を考えることができるはずです。

 ことに近年では博士課程の学生には、中国、台湾、韓国、香港、シンガポールの出身者も多く、複数の言語圏の文学に通じていることもあります。学生には少なくとも二つのアジア言語を学ぶことを勧めています。わたしたちの学部(コロンビア大学東アジア言語・文化学部)には、歴史、宗教、文学、映画、メデイア研究といった領域があり、日本、中国、韓国、ベトナム、チベット研究についての教員がいます。 日本古典文学の博士課程の学生がもちうる副専攻としては、歴史、宗教、演劇、美術史などが考えられます。私が普段から勧めているのは、古典日本文学、近・現代日本文学、その他の学問(美術史やメディア研究など)の領域という、三本足での構成です。現代日本の映像文化やポピュラーカルチャーは学部生に非常に人気があるので、日本古典文学の院生にも、将来就職すると日本の映画やポピュラーカルチャーも授業の担当課目の中に含めることが求められます。小規模の大学は日本文化の異なる分野の教員を複数雇う余裕がありませんから、文学専門家に学際的で多くの異なる分野を教えられることを期待しているわけです。

 博士課程のコースワークの最後に実施される口述試験では、学生自身が選択した3つないし4つの分野にわたる口頭試問があります。私から与える課題の一つには、卒業後に教える可能性のある新しいシラバスを作る、というものがあります。最近の例では、「日本文学と環境」「世界的文脈における日本演劇」「東アジアの怪談」などがありました。こうしたシラバスは、就職の際に決定的に重要なものとなります。

文学研究の衰退

 現在のわれわれにとっての重要な課題は、文学研究全体が、アメリカ中で、そしておそらく世界中で、衰退していることです。文学部や言語学部と名乗っていた多くの学部が、文化学部へと姿を変えています。例えば、コロンビア大学のスペイン文学部は現在、ラテンアメリカ・イベリア文化学部と呼ばれ、その教授陣は人種、ジェンダー、ポストコロニアル研究、文学理論、視覚文化、移民、政治などといった問題を専門としています。人類学や社会科学の分野を人文科学に取り込んでいるわけです。文学だけを扱っている学部はますます縮小しています。フランス文学部は20年前の半分の規模になりました。

 英文学部は、映画、メディア、映像文化、翻訳、人種、ジェンダー、ポストコロニアル研究、ディアスポラ、奴隷制度、デジタル人文学、環境人文学、医療人文学、LGBTQ(クイア)研究、障害学、先住民研究、法と人文学、などが専門領域となっています。地域もイギリスや北米にとどまらず、アフリカやインドをはじめ南アジアなど多岐にわたります。35人の教授を擁する大きな学部ですが、その目的は、単に英文学を教えるだけでなく、新しい分野を開発・開拓することにあるのです。

 ラテンアメリカ文化学部の例は極端かもしれませんが、将来的に、文学研究が他の学問領域から独立し、自立したものでありつづけるのは難しいでしょう。40年前、東アジアの専攻分野は、文学と宗教と歴史に集中していましたが、この30年で社会科学、文化人類学や経済学などの分野にも拡大し、学生はさまざまな学部で授業を受けるようになりました。例えば、東アジアと経済学をダブルメジャーとする学部生も少なくありません。ほとんどの学部生は東アジアの研究者になるわけではありませんが、東アジアに関する基礎知識を得たことは、卒業後のキャリアの上で重要な意味をもつことになります。

 小規模な日本文学プログラムは英文学部のようなわけにはいきませんが、「日本文学」のプログラムから、日本文学に映像文化やメディア研究を含めたプログラムへと発展してきました。学部生の多くは、日本の映画、アニメ、マンガ、ポピュラーカルチャーに高い関心と興味を持っています。実際、日本語を履修する者の約3分の2は、初めはこのような動機で受講し始めるのです。

 私の現在の研究プロジェクトは、環境に関するものと、妖怪の歴史的ルーツに関するものですが、いずれも日本の古典文学を他の学問分野と交差させる試みであると同時に、前近代の文学を現代につなげる試みでもあります。妖怪と現代のポピュラーカルチャーとの関係は、古典文学、文化、宗教、歴史に、学生たちを引き込む手段となります。環境学は最近の学部生のほとんどが興味を持つ分野なので、日本古典文学と環境人文学の間に何らかのつながりを作ることができれば、さらなる展開が期待できます。

 日本の古典文学についての英語による研究と日本における古典文学研究は、数や質、深さの点で比較にはなりません。日本文学の研究者は少なくとも1万人はいるでしょうが、日本国外にいるのは200人以下です。しかし、英語による研究は、日本古典文学を世界へと結びつける潜在力があるはずです。あえて「潜在力」という言い方をするのは、この結びつけが困難なものであるからです。例として、私の経験を一つ挙げましょう。『源氏物語』についての本を書いた後、私は詩学 (poetics) についての本を書こうと思いました。日本の詩学とヨーロッパ詩学との比較研究をおこなうつもりだったのです。 1990年代において、文学理論や詩学は欧米では主要な研究分野の一つになっていましたから、日本の文学理論をグローバルな文脈に持ち込めると考えたわけです。藤原俊成の『古来風体抄』(とりわけ「本意」)についての論文を書き、近年のインターテクスチュアリティの概念との比較を行いました。しかし、歌論や連歌論、能楽論、俳論を読めば読むほど、それがいかに異質なものであるかが分かってきました。能楽論には複雑な仏教哲学がありますし、江戸の国学論争は一種の詩学として理解できますが、「文学理論」や「美学」はヨーロッパの概念であり、日本の詩歌の大半を理解するにはふさわしくないことに気づかされたのです。日本の詩歌は本質的に、実践、直接参加、集団活動からなるものです。歌論はふつう、読者や批評家ではなく、作者(制作者)、実践者の視点から書かれています。連歌論や能楽論、俳論も同様です。一言で言えば、比較詩学を書こうとした私の試みは失敗に終わったわけですが、その失敗の認識はとても啓発的なものでした。外部との比較や関連づけは、日本のジャンルや文化現象の主要な特徴を明確にする重要な手段になります。私自身にとって、日本文学でもっとも強く心を惹かれるのは、それがいかに英文学と違っているか、というところにあります。そうした相違点が、私のさまざまな分野に対する興味に拍車をかけているのです。

 冷戦時代の人間であり、欧米の教育を受けたアメリカ人である私にとっての比較軸は、アメリカと日本、あるいはヨーロッパと日本でした。しかし、日本独自のものと思っていたものが、東アジアに共通するものだと気づかされることがよくありました。これは、私たちの「日本文学」プログラムが東アジア言語文化学部に属していて、中国文学や朝鮮半島文化の研究者と一緒にプログラム作りをしていることにもよります。そのため、とても慎重に、より広域な東アジアの文学的風景を見なければならず、それは簡単なことではありません。これまでの失敗が教えてくれるのは、ヨーロッパ中心主義にならないこと、「文学」(literature)という語と概念自体も含めて、ヨーロッパあるいは近現代の用語で物事を測らないことの重要性です。例えば私は「世界文学」という用語に対して非常に警戒的です。なぜなら、それはヨーロッパの「文学」、特に近代文学という概念に基づいている傾向があるためです。

日本語を教える

 日本文学の研究・教育職を得るためのもう一つの鍵は、教職経験です。アメリカの博士課程の学生は大学から全額給付の奨学金を受けていますので、他の場所で教えることは許されません。そこで、博士課程の学生に教職経験を積ませるために、2年目から2種類のTA(ティーチング・アシスタント)職を割り当てています。一つは、大規模な授業のセクションリーダーを務めることです。30人以上の授業では、講義の他に毎週15人程度に分けたディスカッションセクションを設けることになっています。博士課程の学生は、教員が行う講義に出席し、また、少人数に分けたディスカッションセクションを各々担当します。 学部専攻の必修科目の一つに「東アジア人文学」という授業があり、『論語』『孟子』『荘子』や『法華経』に始まり、『紅楼夢』から日本の古典へと続き、さらに朝鮮半島やベトナム文学も取り上げます。教授1名と博士課程の学生1名でチームティーチングを行います。教授が中国文学専門なら、学生は日本文学専攻、という具合です。これによって日本文学の博士課程の学生は、教授の指導を受けながら、中国文学も学びながら日本文学を教えることができます。

 北米における日本文学の教育は、現代日本語の教育と密接な関係にあります。日本語のプログラムを作るには、少なくとも2、3人の教師が必要ですが、そのうちの1人はおそらく文学研究者ということになるでしょう。私が最初南カリフォルニア大学に就職したときには、文学や文化に加えて、3、4年生レベルの日本語を教えました。大学は日本語教師として歴史、宗教や美術史の研究者を雇うことはまずありませんが、通常、日本文学の研究者には日本語を教えることが求められます。こうした理由から、われわれは博士課程の上級学生を対象に、日本語教授法のワークショップ・プログラムを作りました。そこで学ぶのは基本的な授業方法、さまざまな教科書の使い方などです。幸いなことに、日本語講座のニーズは減少していないのです。日本史の勤め先はほとんどなくなりましたが、日本文学の勤め先は、数は減っているものの、まだ比較的安定しています。また、日本語で書かれた短編小説やエッセイを取り上げたり、翻訳を教えたりすることもできるので、日本語を教えることにはメリットがあります。

 日本では、日本文学研究者は、すでにテクストを読んだことがあり、その文脈について知っている専門家に向けて書く、という贅沢を享受しています。これに対して、英語で執筆する博士課程の学生や研究者は、まずテクストを紹介しなければなりません。つまり、テクストのかなりの部分を英訳し、歴史的、社会的、そしてインターテクスチュアルな背景を説明しなくてはならないのです。越えるべき壁は高いですが、テクストを英語に翻訳することは、大きなやりがいと豊かな洞察が得られる仕事でもあります。

 近年日本では、日本文学を英語で教えるという、日本文学の新しい分野が登場しています。 鈴木登美と私は、早稲田大学から、日本人と外国人の双方に英語で日本文学や日本文化を教える「国際日本学」という新しい学科(コース)創設への協力を依頼されました。私たちの博士課程の卒業生4人が、その新学科の教授になっています。日本文化を学びたい外国人留学生もますます増えており、英語を日本や日本文化と関連づけて学びたいと考える日本人も一層増えているので、このようなコースは日本で数を増してきています。さらにこれは、翻訳を通して言語と文学の両方を教えることができる分野でもあるのです。

 最後に、最近の学生の就職について、具体例を一つ紹介させてください。ベトナム出身のフオン・ゴーは、漫画やアニメを通じて日本語に興味をもち、ウェルズリー大学を卒業した後、『源氏物語』が現代のメディアに与えた影響を研究したいと考え、われわれの博士課程にやってきました。吉野朋美さんがコロンビア大学に滞在していたとき、共同で和歌についてのセミナーを大学院で行ったのですが、それがきっかけでフオンは和歌に大変興味をもち、『伊勢集』と平安初期のさまざまな和歌ジャンルの研究を学位論文にすることにしたのです。フオンは東京に留学し、中央大学で吉野先生に師事しました。そして『伊勢集』を全訳し、英語による解説と注釈をつけるとともに、『伊勢集』における贈答歌や題詠、歌合、散文と和歌の関係について六つの章を執筆したのです。彼女の論文は素晴らしいものでしたが、平安和歌の研究だけでは就職は困難でした。幸い、彼女はニューヨークのバード・カレッジで任期1年の職を得、2、3年生レベルの日本語、『源氏物語』と現代メディアを含めた享受史に関する授業を担当し、また、妖怪や怪談に関する授業で人気を博しました。その才能と、これらの授業を見事に教えこなす能力によって、彼女はこの春、専任のポストに就くことができました。フオン・ゴーは就職面接のプレゼンテーションのなかで、「コンテクスト依存的意味」(context-dependent meaning)という批評概念を援用して和歌について語りました。つまり、和歌の意味がコンテクスト(文脈)によって一変することを説明したわけですが、そうすることで、彼女は自分の研究を外部にいる人々につなげることができたのです。

 結論として、コロンビア大学博士課程の学生には、日本で第一線の研究者に指導を受け、日本の博士課程の学生と友達になることが、絶対に必要だと言っています。私の場合、大変幸運なことに、東大に来ることができ、長島さんにチューターとなってもらうことができました。そして多くの日本人研究者と密接に仕事をすることができています。こうしたことがなければ、私は今ここにいなかったはずです。それと同時に、北米型のシステムで用いられているテクニックやものの見方、捉え方、欧米やアジアの研究者との交流から学べることも多いはずです。どちらが優れているかという問題ではなく、将来のためには両方が必要なのだと思います。

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