疫情蔓延与樱花飘落之间,思考仍在持续—介绍东京大学国际学术研究所(Tokyo College)的学术活动 コロナ蔓延と桜吹雪の中でも思考は止まらない—東京大学国際高等研究所(Tokyo College)学術活動のスケッチ - 東京カレッジ - Page 2

疫情蔓延与樱花飘落之间,思考仍在持续—介绍东京大学国际学术研究所(Tokyo College)的学术活动 コロナ蔓延と桜吹雪の中でも思考は止まらない—東京大学国際高等研究所(Tokyo College)学術活動のスケッチ

2020.04.12

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学科交叉与跨越专业领域,面对公众与议论社会问题,立足日本却始终怀抱世界,这也许是这个研究院成立以来,不断推进的方向。

除了面向公众的演讲之外,我在这里和同事也有过几次讨论,涉及的话题相当广泛,也有的话题相当有意思。这里简单介绍两例。有一位年轻学者讨论桦太岛(库页岛)的阿依努人问题,其中涉及族群的“认同”问题。他提到明治时期,日本政府面对俄国的时候,就强调阿依努人是“日本人”,而面对国内国民的时候,则视阿依努人为“野蛮人”。这种有关“我者”与“他者”的处理,让我不由想到,库页岛的曾经名称既是库页岛(大清),也是萨哈林岛(俄国)或是桦太岛(日本),当这一区域的国家归属不断变动时,生活在这个区域的少数族群,认同和身份问题可能相当复杂。现在的历史学和人类学的新趋向是,不止是追寻他们的族群源头,更注意他们自身的认同建构,所以需要追问的问题是,现在在桦太岛和北海道的阿依努人各有多少,他们自己如何定位自己的族群身份?同时也要追问的是,日本政府如何处理这些极少数非大和民族人?是优待并鼓励他们保持身份和文化,还是强力推行国民同一性的身份并改造他们?而另一次午餐讨论会上,又有一位年轻学者介绍近代伊朗的博物馆历史,这也让我想到不少问题,其中最重要的是,博物馆当然是近代文明的产物,特别是在现代国家形成过程中,它实际上承担了“国家认同与制造历史”以及“保存古物和发扬传统”两种功能,中国历史博物馆与故宫博物院就是两种功能的代表。不过,在中国官方的大型的博物馆中,似乎现代艺术的陈列不多,还是传统艺术品和文物为主,这一点和巴列维时代(1977)的伊朗博物馆开始逐渐接受现代甚至当代艺术不太一样,那么,这一差异在意识形态上它象征了什么呢?

最让我有兴趣的,当然是有关“认同”问题的seminar。2月4日,第一次讨论由羽田正教授与我各讲20分钟。羽田正从他访问墨西哥时,询问墨西哥学者“什么是你们国家的认同”,得到的回答居然是“Being Divers”开始说起,介绍了各种语言中的“认同”概念;我则简单介绍了“认同”概念1990年代以后在中国被关注的过程,“identity”的中文翻译,中国“认同”问题的复杂性及其历史来源,以及中国认同讨论中需要警惕的趋向。也许,羽田正教授是世界史专家,精通法语、英语、波斯语,显然更关心理论与语言,而我是中国历史学者,更关心族群与国家认同的历史形成,大概彼此关注的重心还是有差异,所以,第一次讨论虽然热闹,却像三岔口摸黑打仗,还没有找到问题的交集点。不过很显然,大家都有兴趣,都期待着不久进行“认同”问题的第二次seminar。

 

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新冠病毒疫情弥漫的三月,正值日本的樱花时节,东京大学校园的樱花如云如雾正在满开,不远处的不忍池和上野恩赐公园,更是日本赏樱的名胜之地。因为疫情紧张,日本政府和东京都力劝民众“自肃”即自我克制,因此,原来杯觥交错、游人如织的“花见”盛况不再。一个阴雨绵绵的早上,我去了一趟上野,看着公园樱花大道的满树樱花,看到为防止聚众设置的绿色路障,以及樱花树下空无一人的冷清景象,让人看了多少有些惆怅和伤感。偏偏是在三月末的一天,很意外,东京突然下起了鹅毛大雪,据电视上说,这是三十年未曾有过三月末大雪,雪花纷纷扬扬地落在粉红色的樱花花瓣上,这种樱花吹雪却无人观赏的场景,仿佛有一种浸入骨髓的凄清美感,让人清凉,也让人怅惘。

二月下旬以来,很多讲座都因为新冠肺炎疫情暂停,2月27日印度钱德拉关于21世纪数字革命的讲座,3月10日美国哈佛大学教授David Damrosch关于日本文学与世界的讲座,3月16日美国弗吉尼亚大学教授Sheila Blair关于美术品中的蒙古帝国讲座都无奈地取消了,原计划中我的第一次公开讲座《朝贡圈最后的盛会》也当然只好中止。不过,就是在这样的季节里,东京学院仍然计划用Zoom讨论学术,明天举行的这一次“认同”话题seminar,由哈佛大学Andrew Gorden和德国杜宾根大学Viktoria E-Szabo主讲。在疫情蔓延与樱花飘落的时候,思考仍在继续,东京大学国际学术研究所的讨论班,也仍然透过视频进行。

 

2020年4月2日于东京

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理系・文系を越えた分野融合と学際性、社会の問題についての学生や一般市民との対話、日本に立脚しながらも常に世界を意識すること、これらが、この研究所設立以来、推進されてきた目標のようである。

一般公開の講演のほか、私はここで同僚といくつかの議論もしている。トピックは非常に広い範囲に及ぶのだが、興味深かった二つの例を紹介したいと思う。 ある若い学者が樺太(からふと・庫頁島)の「アイヌ人」の問題を取り上げたとき、民族的「アイデンティティ」の問題について触れた。この学者によると、明治時代に日本政府はロシアに向けて、「アイヌ人」を「日本人」だと強調したが、国内の国民に向けては、「アイヌ人」を「野蛮人」と見なしたという。こういう「自己〔Self〕」と「他者〔the other(s)〕」に関する操作を聞くと、庫頁島はかつて「庫頁島(クイェドウ)」(清)、サハリン島(ロシア)、樺太(日本)と呼ばれていた歴史が自ずから浮かんでくる。ある地域の国家への帰属が絶えず変化する場合、その地域に住む少数民族のアイデンティティの問題は非常に複雑になる可能性がある。

現在の歴史学と人類学の新しい趨勢は、彼らの民族の起源をたどるだけでなく、彼ら自身のアイデンティティの構築に、より注意を払っている。ならば、現在、樺太と北海道にどれだけの「アイヌ人」がいるのか、彼らはどのように自身の民族アイデンティティを認識しているのかを明らかにする必要があるだろう。同時に、日本政府がこれらのごく少数の非大和民族の人たちをどのように扱っているのか、彼らを優遇し、彼らに彼らのアイデンティティと文化を維持するように奨励しているのか、それとも国民としてのアイデンティティを持つことを強く促し彼らを改造しようとしているのかも問われるべきだろう。

別のランチミーティングでは、もう一人若い学者がイラン近代の博物館の歴史を紹介した。これもまた多くの問題を思い起こさせた。中でも、最も重要だと思われるのは、博物館はもちろん近代文明の産物だが、特に近代国家形成のプロセスの中で、実は「国家のアイデンティティと歴史作り」と「文化財の保存と伝統の継承」という二つの機能を担っているということだ。中国歴史博物館と故宮博物院は、その役割を果たしている代表であろう。しかし、中国国立の大型博物館では、現代芸術はあまり展示されておらず、伝統的な芸術品や文化遺産の展示が主流であるようだ。この点において、パフラビー朝時代のイランの美術館(1977年)が徐々に近代美術、さらには現代美術さえも受け入れ始めたことといささか異なっているが、この違いはイデオロギーという面で何を象徴しているのだろうか。

最後に、最も興味深かったのは、もちろん「アイデンティティ」に関するセミナーだ。 2月4日に開催された初回の会合では、羽田正教授と私が20分ずつの話題提供を行った。羽田教授は、メキシコを訪問したとき、メキシコの学者に「あなたの国のアイデンティティは何ですか」と尋ねたところ、予期もせぬ「多様性Being divers」という返答があったという話から説き起こし、いろいろな言語の中の「アイデンティティ」という概念について紹介した。私は 1990年代以降、中国においてアイデンティティの概念が注目されるようになった過程や、「アイデンティティ」の中国語訳と中国のアイデンティティ問題の複雑さ、それに歴史との繋がりや、中国のアイデンティティを議論する際に警戒すべき諸問題などについて報告した。羽田教授は世界史の専門家であり、フランス語、英語、ペルシャ語に堪能で、理論と言語に関心があるのも当然である。対して、私は中国の歴史学者であるので、民族および国家のアイデンティティの歴史的な形成により関心がある。そのため、お互いの焦点が異なっていることもあって、初めての会合の議論は、活発だったが、三叉路の暗闇の中で戦うようなもので、問題の交差点は見つからなかった。しかしながら、誰もが興味を持ち、2回目の「アイデンティティ」セミナーを期待していたことはいうまでもない。

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新型コロナ・ウィルスが一層蔓延しはじめた三月、日本は時恰も桜の咲く季節である。東京大学のキャンパスの桜は雲のように満開に咲き乱れ、遠くに見える不忍池や上野恩賜公園は、日本のお花見スポットとして有名である。しかし、コロナ蔓延の恐れから、日本政府と東京都による「自粛」、つまり自制が呼びかけられ、例年は花見の人出でひしめき合う名所にも、人々が酒を酌み交わす光景は見られなかった。

雨がしとしとと降るある日の朝、上野公園に行ってみた。桜並木が咲き誇る公園には、花見客による場所取りを防ぐための緑のバリケードが置かれており、桜の木の下には誰もいない。そのひっそりとした光景をみて、いささかやるせなく感傷的な気分になった。三月末のある日、東京に突然ボタン雪が激しく降った。テレビのニュースによると、30年ぶりの大雪だそうだ。薄紅の桜の花びらに雪が重なり、舞い散る桜に雪が交じり、何とも素晴らしい光景だが、見る人が誰もいないことが、切なさに拍車をかけた。骨まで染み通るような凛とした美しさが、透き通った清らかさを感じさせ、同時に心に重いものを残した。

2月下旬以後は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、多くの講演会を延期せざるを得なくなった。2月27日には、インドのチャンドラセカラン(Chandrasekaran)氏による21世紀デジタル革命に関する講演、3月10日にはハーバード大学デイヴィッド・ダムロッシュ(David Damrosch)教授による世界の中の日本文学に関する講演、3月 16日には米国バージニア大学のシーラ・ブレア(Sheila Blair)教授によるモンゴル帝国研究資料としての美術品の講演が予定されていたが、相次いで延期となった。そして3月19日に予定されていた私の最初の講演「朝貢圏最後の盛会」も、当然延期となった。

このような非常時の中でも東京カレッジはその活動を止めず、ZOOMでのセミナーを計画している。明日は「アイデンティティ」に関するセミナーが行われる予定で、ハーバード大学のアンドリュー・ゴードン教授とドイツのチュービンゲン大学のヴィクトリア・エシュバッハ教授が報告される。

コロナ蔓延と桜吹雪の中でも、思考は止まらない。東京大学国際高等研究所の研究班も、ZOOMを通して活動を続けていく。

2020年4月2日 於東京

追記:

本文を書き終わった後、東京カレッジが5名の新しいメンバーを迎えたことを知った。彼らは世界各地からやってきた助教やポスドク、研究員などである。4月3日には、ZOOM形式による第2回「Identity」セミナーが開催され、4月24日には、第3回「Identity」セミナーも行われる予定である。

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