TOKYO COLLEGE Booklet Series 8
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35 ころからアプローチしていかなければならない大変重要な問題だと感じています。 大大竹竹 科学に要求水準があるというお話もありましたが、日本では街頭などでインタビューをすると気楽に「100%がいいですよね」とおっしゃる方がいます。しかし、世の中には100%ということはなくて、やはり確率過程だと思っているのです。この辺のギャップを、コミュニケーションや科学技術社会論の立場でどうお考えですか。こうした傾向は世界共通なのでしょうか。それとも日本が特に強いのでしょうか。 藤藤垣垣 2000年代、遺伝子組み換え食品が100%安全かどうかが議論になったとき、国際比較調査なども行ったのですが、人々が100%の安全性を求めているというのは、実は専門家からパブリックに対して抱いている幻想なのだということが暴かれてきました。パブリックは100%を求めてはいないことがデータとして出てきたのです。にもかかわらず、なぜか集団として報道されるとそれに引きずられたり、あるいはSNS上でそういうものに引きずられたりする傾向はあるのかもしれません。ただ、実際に一般の人にある知見を見てもらい、それに対して判断してもらうと、100%を求めることは幻想であるという結果が出てきています。 大大竹竹 今日はそういう意味ではマスコミ論やマスコミ関係の方がいるとよかったのですが、それに一番近いところで随分苦労されたのは横山先生だと思います。いろいろな情報発信をしたときにクオリティの問題があり、グループボイスの話は非常に意味のある提案だと思うのですが、例えば科学サイドが持つ幻想のようなものは、社会とのある種のパーセプションギャップだと思うのです。実際、学術会議の問題ではミスリードなのかディスインフォメーションなのか分かりませんが、そういうことが報道され、後で打ち消されているものの、結構それがすぐに浸透してしまうようなこ

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