TOKYO COLLEGE Booklet Series 8
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19 科学的な知識は、常に現在進行形で形成されています。例えば2020年10月の最新号で出された科学的知見は、1年後、5年後、10年後には書き換えられる可能性を持ちます。これは常に更新されるという性質からすれば当然です。 われわれは科学史で、「19世紀においては○○が真実と考えられていたが、現在は××が真実であると考えられている」という記述を見ても驚きはしません。つまり、科学的知識が書き換えられるという性質を持っていることをどこかで理解しているのです。ところが、これが科学と社会との接点で起こる問題となると、人々は「書き換えられる」という科学の性質を忘れて、科学に対する要求水準を上げます。科学は常に正しいことを言っているはずだから、書き換えられるのはおかしいと考えてしまうのです。これが科学史のことであればいいのですが、現代のことになると、書き換えられることへの耐性がないという傾向があります。 例えば、水俣病の原因は1956年の最初の患者発見から数十年、タリウム説、セレン説、マンガン説など多くが出されました。最終的にチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド生産プロセスで発生するメチル水銀が原因であることが、化学工学的に示されるまで50年の時間が経過しています。これは科学的知識が常に現在進行形で形成され、書き換えられるという性質からすれば全く正常なことです。ところが、原因物質がころころと変わることが報道されると、なぜか人々は科学に対する信頼を失うという傾向を持ちます。 これはなぜでしょうか。科学史において真実が書き換えられる事実を知り、科学がそのような性質を持つことを知っていながら、科学は堅実で不動のものというイメージが強くあるためではないでしょうか。こうした問いが、科学と社会との接点で起こるさまざまな事例を分析してくると出てくるのです。

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