TOKYO COLLEGE Booklet Series 7
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41 ます。自由とは、民主主義、公正、公共性など私たちがこれまで大事にしてきた概念を代表して挙げられていると思います。これに関して、「暮らしと社会」のセッションでは、公共(パブリック)の領域の収縮・拡張の問題が指摘されました。 そこで質問ですが、まず、安全・経済・自由は本当にトリレンマなのでしょうか。トリレンマだとすると、来るべき社会においてどのように解消されるべきでしょうか。その際、もし自由などの概念の再定義や、経済や社会システムの再構築が必要ならば、そのことについても具体的なお考えを伺えればと思います。 中中島島 概念をもう一回洗練し直すことはとても大事だと思います。安全といい、自由といい、経済といい、どう定義するかによって風景が全く変わってくると思います。 ライフ(生)が問題になっていると申し上げましたが、私たちが安全のために、それこそロビンソン・クルーソーのように無人島に行って暮らす場合、社会的な条件がある程度そろっていればとても安全ですよね。でも、それがはたして私たちの生といえるかどうかです。私たちの生は、ひょっとすると自分ではない人との間でこそ育まれるものだと考え直すと、生を尊重することの意味も大きく変わってくると思います。それは自由も同じです。一体、誰のどういう自由なのかというときに、人とともにある自由なのかもしれないと概念を洗練し直すだけで、全く異なる風景が見えてくると思います。 経済とテクノロジーに関していえば、まさに人の生の条件を豊かにするように働くべき領域だと思っています。経済やテクノロジーが何か独立してあるわけではなく、アップデートされた生の価値をどのように高めていくのか、その条件をどう豊かにしていくのかに懸かっていると思います。

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