TOKYO COLLEGE Booklet Series 7
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36 がいました。では、なぜ家事労働は経済を考えるときに科学的エビデンスから抜け落ちてしまうのでしょうか。経済政策や経済研究に家事労働をデータとして反映させるにはどうすればいいでしょうか。 また、今回のコロナ禍で家事労働に見られるような他者へのケアの労働が増えたと思いますが、経済システムの基盤概念を利益、効率性、個人から、アルトルイズム(利他性)をはじめとする概念に移行することは可能でしょうか。 星星 二つポイントがあったと思います。一つは、経済学はなぜ個人の利益だけを考えて、他人のケアを考えに入れないのか。もう一つは、家事労働やその結果である家庭での生産がなぜGDPなどのデータ、エビデンスに入ってこないのかという話だったと思います。 一つ目に関しては、ちょっと誤解だと思います。経済学は個人的な利益ばかり考えていると思われるかもしれませんが、経済学の中にもアルトルイズムの研究は多くあります。例えば、人々が遺産を残すのは自分のためではなく、自分の利益のことだけ考えているという仮定ではなかなかうまく説明できません。ですから、経済学が個人の利益だけを考えているわけではないということは、もう少しわれわれ経済学者がうまく説明しなければなりません。それから、他人のための労働を説明するのに、アルトルイズムは必ずしも必要ではありません。他人のために行うことで自分も他人も両方が得することがあるからです。そうしたことも経済学では考えられていると思います。 それから、家事労働がなぜエビデンスに入ってこないのかというのは全くそのとおりで、GDPの中に家事労働や家庭生産は入っていません。ただし、経済学者も、家事労働や家庭生産が重要であることは分かっていて、家庭生産(宿題を意味するホームワークという言葉が使われることもあり

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