TOKYO COLLEGE Booklet Series 7
35/60

33 科学的な研究によって「正しく恐れる」ことができますが、同じ論点に関して政治の役割と責任はどこにあるといえるでしょうか。また、専門家の見解が力を持つならば、テクノクラシーへ向かう恐れがあるといえるのではないでしょうか。最後に、そもそも民主主義のアップデートとは具体的にどのようなものでしょうか。 中中島島 多くの論点を出していただき、ありがとうございます。われわれの「価値」に関するセッションでは、小野塚先生と宇野先生が、責任を取るのは政治家であるということを特に強調されていました。ところが、専門家の科学に基づいた見解に、政治が責任を押し付けているのではないかと見える場面が多々ありました。それによって、逆に専門家の側が、責任を取るような発言を余儀なくさせられてしまうと、かえって具合の悪いことが起きるのではないかという議論をお二人からは随分していただきました。 そうしますと、われわれは専門家が提供する知見をどういう形で信頼し、尊重していくのかが非常に問われると思います。それは2011年以来の問題でもあります。2011年以降われわれが見てきたのは、専門家がおっしゃることがうまく響かないということです。正しいことをおっしゃっているのかもしれないけれども、それをどう掴まえて、意思決定にどう生かすかというところまで行っていないのが現状だと思います。それは専門家の科学的な知見に対して、真理追求の真摯さを疑っているわけではなくて、その言説が信頼や信託の下で社会に十分に共有されていなかったということだと思います。それこそ宇沢弘文先生は専門家にとっての信託の問題を非常に強調されていたと思いますが、そこが深められないままコロナ危機を迎えてしまいました。そうすると、専門家と政治家が奇妙な仕方で関わるようになってしまいます。しかし、最終的な意思決定をして、それに

元のページ  ../index.html#35

このブックを見る