TOKYO COLLEGE Booklet Series 5
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48 福福永永 さまざまな議論の中でリスクをどう考えるかというのはとても大きな課題だと思います。今日の沖先生のリスクの議論に明らかでしたが、ご自身の専門知やバックグラウンドから、リスクを拾うことや、リスクの現実化があっても対処できる社会を作れるかどうか、という観点で社会を見ることに慣れていらっしゃいます。結局、リスクを何として受け止めるかという社会のつくり方は、何をリスクと見いだせるかにもよります。リスクはきわめて社会文化的でもある。そのため、見えないものは見えない。しかし、見えないものが起こってもいい余剰や余白はかなり大事だと思います。余白のある社会がいろいろな意味でいいなと思います。だから、文化も含めて有象無象にいろいろ生まれる寛容な社会、the commonを備えた社会をどうつくるかが問われています。見えるものだけでできた社会は人を追い詰めてしまうのではないでしょうか。 味味埜埜 SDGsは、世の中の脆弱な部分を何とか改善しようとして設定されました。「新しい生活様式」を考えたときに、目の前のことも大事なのですが、もう少し理念的なベースとしてSDGsを積極的に使っていくことは重要だと思います。 それから、SDGsのゴールは別々に取り組むものとして決められたものではなく、全体を見る見取り図なのです。そういう中で、自分はある特定のゴールについて「貢献している」と言って安心してしまうのではなく、コロナ危機ではいろいろなことが相互に関連していることを見せつけられたのですから、SDGsに取り組む過程で多様な視点やパートナーの重要性をもう一度再認識する必要があると思いました。その点を強調しておきたいと思います。

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