TOKYO COLLEGE Booklet Series 5
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43 のですが、質的データからそういうロジックをつくるのはなかなか難しいと思うのです。その点はいかがでしょうか。 福福永永 私が個別具体的なストーリーにこだわるのは大きな理由があって、特にリスクがそうなのですけれども、数字上やシナリオで議論されるリスクだけを注視していると、そのリスクがどのようにその人たちの中に内面化されて、結果として集合行為にどう反映されるのか、人々の生の中に押し込められてしまうリスクがどういった形でその人に被害をもたらすかが見えなくなるという強い懸念がありました。 逆にそういったところから現実を拾わないと、大きなロジックを考えるデータもつくれません。実際に量的データは完全なように見えますし、今は情報技術が進展したので、例えばSuicaのトラッキングをすると人々の移動を簡単に取れるような気がするのですが、実際はその背後に前提とするフレームがないと量的なデータは取れません。Suicaを選んだ瞬間に、公共交通機関でSuicaを使えない人たちはこぼれ落ちるわけです。何を使えて、その人が人生を切り開くためにどういう資源が周りにあると見なすことができて、それをどういう形で利用できて、しかもそれがその人たちの目の前に透明性のある形できちんと提示されているかということは、個別具体的なストーリーからしか見えないし、そこからしか恐らくthe commonと呼ばれるものは人々の間に共感を持って受け入れられないのではないかと思っています。 教育はもちろん大事なのですが、やはり根っこに共感がないと先に進まないと北村先生がおっしゃっていたと思います。そこが私にとってはとても重要なことで、死者という形で見えなくなってしまう多くの死の形は重要です。お葬式ができないことを、新しい社会の幕開けと簡単には片付けられなくて、お葬式ができないことで周辺がどれだけ苦痛を感じながら日々を過ごしているか、それが社会を支える死生観に結びつくということ

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