TOKYO COLLEGE Booklet Series 4
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34 に、経済を冷やすことによるメリットとデメリットを比較して政府はやり過ぎではないかという言い方はちょっと違うのではないかと思います。つまり、政府は別に自粛に関して何か決定的なパワーを持っていたわけではなくて、結果的に私たち自身がそういう道を選んだのだと考えれば、それはそれで合理的な解になっているのではないかと思います。この点についてもお考えを教えてください。 岩岩本本 市場での付加価値であるGDPの損失があっても、家庭内で生産されている価値があれば、それは相殺されてしかるべきだと思います。その推計がどうなるか、私もよく分からないのですが、コロナ禍で経済活動に活かされなかった資源のロスは当然あるはずで、その分の経済活動を抑制したものをコストとして測らなければなりません。ですから、GDPの統計以外の部分も数字にしなければいけないのは確かだと思います。GDPの数値もどうなるかよく分かりませんし、将来的には経済学者が分析することになると思いますが、家庭内の生産で代替された部分を考慮したロスの計算が必要になるというのは、非常に大事なご指摘だと思います。 もう1点の質問について再度説明しますと、社会全体でどう対応したかという評価を私はしているので、民間部分が行った対策と政府が行った対策の両方を合わせて計算しています。もしも民間が全て織り込んで行うのであれば、政府が特に出ていかなくても民間の防衛策だけで全て済むのです。海外ではそれ以上に政府が介入してさらに強い措置を取っているところがあるのですが、それが起こる経済学的なメカニズムは、外部性があるということになります。どういう外部性が考えられるかというと、一つは自分が感染することは防止するけれども、自分が感染したときに人にうつすことに関しては、人のことだから知らないという行動を取る可能性があります。すなわち、感染予防の行動が足りない可能性があります。これは今回に限らず、予防接種などでもいわれている議論です。

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