TOKYO COLLEGE Booklet Series 3
40/50

38 ばないかの二極に分かれてしまって、専門家と政治家の適切な役割分担が大きな課題として残ったと思っています。 小小野野塚塚 20世紀の科学の歴史を見ていると、科学と政治の関係は非常に難しく、科学者が意図しない方法で科学の成果が権力者によって使われてしまうということがたびたびあったと思います。その点では、科学者は常に権力や政治に対して何らかの緊張感を持って臨むべきだと考えています。ただ、19世紀末以降、世界的にもう1つ明らかになってきていることは、テクノクラートともいうべき専門的な人々が何らかの政治的実権、特に行政権力を握るようになってきたことです。 今回の日本で専門家と呼ばれている人たちは、果たして科学者として臨んでいたのか、それともテクノクラートとして臨んでいたのかということを、もし機会があれば一人一人に尋ねてみたいと思っています。テクノクラートの場合には、権力に使われることが初めから組み込まれてその職業を選んでいるのですから、当然それなりの職業倫理があって、たとえ自分の知っていることでも権力が悪用しそうであれば知らせないということもあり得るだろうと思います。 そして今回のコロナ禍では、生命のあり方が問われているのだと思います。つまり、安寧な生命や生活や生存や健康が保たれるのなら、あとは何も要らないと言ってしまった場合の生命、宇野さんもおっしゃっていたように、近代社会が獲得してきた自由や人権や私権やプライバシーといったものをそぎ落としても守られれば、それでいいというときの生命とはいったい何なのかということです。そのときの生命は、果たして費用が安いのか高いのかということを私は聞いてみたいです。それでも健康を保ちたい、病気から自由でいたいという人に対して、「あなたの生命は安くなっていませんか」と尋ねてみたい気がします。

元のページ  ../index.html#40

このブックを見る