TOKYO COLLEGE Booklet Series 3
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22 世論は、明らかにある種の強権的な対策が取られて、中国で見られたように病気が一掃されることを期待したのだと思いますが、残念ながら日本ではそういったことは一切できませんでした。自粛頼みの緊急事態だったものですから、そうすると財務省は命よりも財政のほうが大事だということになりますし、経済産業省は命よりも経済活動の方が大事だということになります。では、厚生労働省が何らかの指導権を取れたかというと取れていません。 実際に現場で働いている医療従事者と大多数の国民にとっては、命も経済も生活も守らなければならないという「三すくみ状況」になっているのです。厚労省や政府専門家会議が「三すくみ状況」を有効に統御できたかというと、まったくできていないと思います。そもそも厚生労働大臣はコロナ対策担当ではなく、コロナ対策は経済再生担当大臣が兼務しています。疫病対策は経済再生の問題なのかと問いたくなるわけです。「日本モデル」という言葉も一人歩きしていますが、こういった言葉に対して有効な批判ができない大手メディアにも私は大きな不満を感じています。 そして、カタカナ語が氾濫しています。例えば「東京アラート」という言葉を使って、都庁や橋を赤く染めていますが、何を守るために、誰が何を警戒するのかということは曖昧なまま残されています。その他にもロックダウン、オーバーシュート、クラスターなどさまざまなカタカナ語が氾濫していたのですが、これは政治家が意味と責任を曖昧化することに、大手メディアが無批判に追随したということを表していると思います。中国語圏ではコロナウイルスという言葉にすら、「冠状病毒」という訳語を当てていました。国民の大多数にとって意味が明晰ではない言葉が飛び交う状況は、政治と言論の両面で無責任が横行していることを示唆しています。

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