TOKYO COLLEGE Booklet Series 2
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36 懸念が強まると、皆さんは眼鏡をかけるようになると思います。そうすると、視覚ももしかするとコントロールできるようになるかもしれません。 パブリックな場でわれわれが五感のうち視覚と嗅覚をコントロールされると、現在の技術でも完全にバーチャルな世界でパブリックがつくれてしまうのではないかという気もするのです。自分の見たいもの、感じたいものしか感じないような世界も、もしかするとデジタル技術やAI技術の進化によってできてしまうかもしれません。そうすると、パブリックは何なのか、社会に不可欠なパブリックとはどういうものなのかを再定義しなければならない時代も、そう遠くないのではないかと思うのです。技術が進むとそういうこともあり得るのではないでしょうか。 横横張張 「良薬口に苦し」と言いますが、苦くない良薬を作る方向性を高めることもできてしまう、ということかもしれませんね。 小小熊熊 なるほどと思いながらお話を伺っていたのですが、それをよしとするか否かと聞かれると、私個人は嫌だなと思いながら伺っていました。やはり技術が進めば進むほどリアルの価値が上がり、パブリックの意義がもっと深くなるのではないかと感じています。 最近気になっている言葉があって、「正常性バイアス」という心理学で用いられる言葉です。とても大きな出来事や変化があった際に、「この変化はたいしたことはない」と思い込もうとする精神的な機能が人間には備わっているのだそうです。恐らく激変を緩和して生き残るために必要なサバイバル能力として人間が持っているのだと思うのですが、今回のコロナ禍でも在宅で仕事ができるのに何となく会社に行くなど、従来とあまり変わらない行動を取ろうとする人や、マスクをあえて着けずに街へ出ようとする人がいたときに、それはもしかすると人間の本能として、「これはたいしたことではない」と思いたい潜在能力によって以前と同じ行動を取ろ

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