TOKYO COLLEGE Booklet Series 2
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24 ァサードを作ったりして、巨大化を進めました。それが1317年ごろに一段落したといわれているのですが、実はその後、シエナではさらなる拡大戦略を目指しました。一般に教会堂建築は十字架型の平面をしているのですが、シエナでは元々は十字架の縦軸だったところを横軸に見立てて、新たな縦軸として、さらに巨大な増築をすることで巨大な大聖堂を造ろうとしました。そのころにペストが襲うことになります。 特にシエナはペストの惨禍が深刻だった場所として知られていて、記録によるとシエナの都市内と郊外を合わせて死者は8万人に達し、生き残ったのは3万人にすぎなかったといわれています。これにより、シエナ大聖堂の14世紀の増築部分は放棄され、今でも廃墟のような姿で建ち続けています。 同じようなことが南仏のナルボンヌ大聖堂でも見られます。半分だけが完成して残りの計画はストップしたままで、半分だけを現代まで使い続けています(図5)。あるいは、フランスのボーヴェ大聖堂は、ゴシック建築の中でも史上最高の天井高(48m)を誇る大聖堂として知られていますが、ここでも14世紀半ばに建設工事がストップしました。16世紀に再開しようとしましたが、構造的な理由で結局続けられず、半分しか完成しないまま今でも使い続けられています。 図5 半分だけ完成した姿で使い続けられているナルボンヌ大聖堂(加藤撮影) 図6 19世紀の再建が始まる前のケルン大聖堂(public domain)

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