TOKYO COLLEGE Booklet Series 2
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14 これをひとつのきっかけに、ロンドンでは上下水道が整備され、欧州各国にも波及していきました。 これは、巡り巡って日本にも伝わってきました。皆さんよくご存じの森鷗外は医師としてドイツに留学していましたが、帰国後に本名の森林太郎名で記した『衛生新篇』という本には、ドイツで見聞した公衆衛生について書かれています。まさに公衆衛生の教科書であり、ゾーニングや住宅供給などの都市計画と公衆衛生対策をセットで行うべきだということが書かれています。 一方、日本の江戸時代の状況を見ると、非常に素晴らしいシステムが動いていたことが分かります。江戸では糞尿は肥料としての価値がある有価物として金肥と呼ばれ、取引市場がしっかりあったほか、町じゅうに張り巡らされた水路によって金肥を運搬し、経済を回していました。 江戸城下の固形廃棄物のマネジメントも非常に素晴らしいものでした。江戸時代にはブロックごとに長屋の裏に会所地とよばれる共有地があり、そこにごみ捨て場を設けていたそうです。ごみ捨て場はNIMBY施設(迷惑施設:not in my backyard)の典型で、「必要だが自宅のbackyard(裏庭)には欲しくない施設」とされますが、まさに裏庭にそれを共有していたことは興味深いと思います。ただ、それだけでは江戸の急激な人口増加を支え切れなくなり、17世紀半ばには都市計画的に、ごみの投棄場を深川永代浦に指定しました。これもまさに都市計画で公衆衛生を守った事例だと思います。 さらに、江戸といえば上水システムも有名で、小石川上水、神田上水、玉川上水などがありますが、特に玉川上水は当時世界最大の土木工事ともいわれる素晴らしい技術で、遠方から江戸城下まで水を自然流下で導水していました。上水の整備が江戸の人口増加を支え、都市が発展していった

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